死後に見つけてもらえるか
「終活」という言葉は、いまや私たちの社会にすっかり定着した感があります。終活とは、自分が亡くなった時のために生前から準備をしておくことです。残された家族の負担を減らすことが大きな目的ですが、自分自身を振り返り今後の自分の人生を充実させる手段としても有効だと思います。
ところで終活といえば、介護や治療に関する意思表示、亡くなった後の葬儀や墓の準備、さまざまな事務手続きの生前委任(死後事務委任契約)、遺産の相続などに重点が置かれています。
けれども、私は問いたいのです。終活はもちろん大切ですが、その前に、あなたの体調急変を早く見つけてもらえる自信はありますか? 急変して残念なことに亡くなってしまった場合、あなたの遺体を早く見つけてもらえる自信はありますか?
死への扉は突然開かれます。それがいつかは誰にも、自分自身にもわかりません。同居人がいてもすぐには気づかれないかもしれないし、いつまでも同居が続くとも限りません。
老若男女問わず、とくに一人暮らしの人は何か方法を考えておかないと本当に誰にも発見されないかもしれません。遺体は放置されればやがて腐敗していきます。腐敗した姿は人間の尊厳を大きく損ないかねません。そして、遺体を見つけた誰かが辛い思いに耐えて対応することになるのです。
終活をするなら、併せて体調急変時などに早期に発見してもらう方法についても考えるべきだと思います。死んでしまったら、そこに自分の遺体が残るのです。
生前の社会的つながりは早期発見の鍵になります。遠方の親族よりも近隣住民や友人、会社関係者などが気にかけてくれるほうが大きな助けになります。
IoTを利用して、トイレなどの電球や家電などに一定時間動きがないと異変を感知するようなセンサーを設置したり、アプリや電話などによる定期連絡を通じた見守りサービスを頼ったりするのも手だと思います。
このような見守りサービスは緊急連絡先となる親族などがいないと契約や対応が難しいという課題がありますが、最近では親族のみでなく近隣住民や町内会、友人や地域包括支援センターなどを緊急連絡先として契約可能な場合もあるようです。
※本稿は、『検視官の現場-遺体が語る多死社会・日本のリアル』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『検視官の現場-遺体が語る多死社会・日本のリアル』(著:山形真紀/中央公論新社)
現役の検視官として3年間で約1600体の遺体と対面した著者が、風呂溺死から孤独死までさまざまな実例を紹介し、現代社会が抱える課題を照らし出す。
死はすぐ隣にあり、誰もが「腐敗遺体」になる可能性がある……この現実をどう受け止めるべきか。
そのヒントがここにある。




