2025年度大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(NHK)。日本のメディア産業・ポップカルチャーの礎を築き、時にお上に目を付けられても面白さを追求し続けた人物〈蔦重〉こと蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯を描いたドラマもついに完結しました。そこで放送を終えての感想を、『べらぼう』の脚本を担当された森下佳子さんに伺いました。(取材・文:婦人公論.jp編集部 吉岡宏)
”かたき討ち”の裏話
ドラマ終盤の”一橋治済へのかたき討ち”の話。
最初、こういう形でやろうとは考えてなかったんですよ。もともとは、「蔦重が写楽という謎を治済へ仕掛けてそれで終わる」という“出口”を考えていました。
森下佳子先生
やってもやっても、手ごわい治済の前ではいろんな策がことごとく潰されていく。でも謎が残れば、人はやっぱり解きたい。
たとえば写楽だって、その正体を巡り、現代にいたるまでたくさんの人が走り回らされたわけじゃないですか? 実際、時を超えた壮大な<仕掛け>だったのかもしれない。
そう考えてみて、それってすごいし古びないよなあ、と思ったんですよね。
なので「今生では治済のことを下すことができなかったけれども、歴史が下すことになるだろう」という”出口”を用意するのはどうだろうかって。
蔦重たちの功績は、現代まで残っていますよね。源内も辛い死に方をしましたが“源内通り”といった形で残っているわけじゃないですか? 一方で治済のように、隠れて権力を持って好き放題やっていた卑怯者に、誰も感銘は受けないだろうと。
一所懸命生きた人の功績はちゃんと残る。それこそが復讐じゃないのか、かたき討ちじゃないのかな、と考えていたんですよ。
(『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』/(c)NHK)
でも、これってものすごく観念的やなあって。果たしてドラマを見た人がこれでスッキリするんだろうか? そう感じた結果、完成したのが放送された内容です。
写楽自体の登場の仕方とか、絵に関しての話題そのものは、当初のもくろみ通りなんですが、「かたき討ちとガチャンコ」という方針に関しては、途中で思いついたことでございます。