慣れた手つき
中館さんは50代の男性で、商店街で鍵店を営んでいる。
彼は、それなりに大きな商店街に鍵店を出していた。とはいえ、最近はホームセンターとの競争も激しく、専業では収入も安定しないので、印鑑の作成、鞄の修理、靴の補修、防犯カメラの設置などを兼業していた。何でも屋のような店だったが、地域の人たちには頼りにされていて、細々とながらも商売は続けられていた。
中館さんの店は貸し店舗で、実際に住んでいるのは、商店街から15分ほど歩いた住宅街の中にある一軒家である。古い木造の二階建てで、一階にリビングとキッチンと和室、二階に三つの部屋がある、ごく普通の家である。
家族構成は、自分の他に妻と娘が二人。長女は高校生で、次女は中学生。妻は、やはり近くの産婦人科で事務をしている。平凡だが温かい家庭で、特に変わったこともない日々を過ごしている。
次女のことが気になったのは、二学期が始まってしばらく経ったある日のことだった。
その日、中館さんは午前中の仕事が終わり、自宅で一人昼食の準備をしていた。キッチンで冷蔵庫を開けながら、残り物で何を作ろうかと考えているときだった。玄関の扉が開く音がして、次女が学校から帰ってきた。
「ただいま」
次女の声が玄関から響いた。いつもより少し小さな声だった。靴を脱ぐ音、そして廊下を歩く足音。次女はそのまま階段へ向かっていく。
その廊下を歩いているとき、キッチンの出入り口の前を横切る。そこで中館さんは振り返りながら声を掛けた。
「おかえり」
当然、次女は、ただいま、と中館さんを一瞥して返すのだが、その手には大き目の本が抱えられていた。A4サイズほどの、厚みのあるノートのようなものだった。表紙は深い青色で、角が少し擦れていた。
そのときは、そこまで気にしなかった。教科書か何かだろう、とその程度の認識で片付けてしまった。だが、そのノートを抱える次女の表情が、なぜかいつもより真剣で、大切なものを扱うような慎重さがあったことを、後になって思い出すことになる。
それから数日が経った。家の中で、何度か次女がその本を持っているのを見かけるようになった。食事の後、リビングのソファに座って本を膝に置いているときもあった。和室で宿題をしているときも、ちゃぶ台の端にその本が置かれていた。
「それ、何?」
何度も目にしていれば気にもなる。
次女は顔を上げ、少し照れたような笑みを浮かべながら答えた。
「交換日記」
まさか彼氏でもできたのかと中館さんは驚いた。まだ中学生なのに、そんな年頃になったのかと。しかし次女は大笑いをして、手をひらひらと振った。
「違うよ、近所の女の子だよ」
彼は、次女のその態度というか言動というか、その笑い方で、これは本当のことを言っているな、と分かった。確かに、嘘をついているときの次女の表情とは違っていた。安心したような、楽しそうな笑顔だった。
「そうか、新しい友達ができたのか」
彼は心底安心して、それ以上は詮索しなかった。