母の最期も見事でした。同居していた母は、78歳の時、「一生に一度、一人暮らしするのが夢なの」と言い出し、自分で賃貸マンションを探して一人暮らしを始めて。

その部屋に古くからの友だちを招いて一緒にご飯を食べたり、泊まりがけで友人が遊びに来たりして、本当に楽しそうだったんです。

転倒をきっかけに5年ほどで再び同居に戻りましたが、「あの時、一人暮らしをしておいて本当によかった」と言っていました。

母が亡くなる前年のお正月、いつものように息子家族、娘家族が集まってにぎやかな時間を過ごしていると、突然母が「冥土の土産に歌を歌います」と言って立ち上がったのでびっくり。「冥土の土産って、どういうこと?」って(笑)。

すると母は、私たちの前で「ここに幸あり」という歌を歌ったのです。母にとってはそれも、生きている間にやっておきたいことだったのでしょう。

それから1年ほどで、1ヵ月の入院を経て亡くなりました。死因は誤嚥性肺炎の悪化でしたが、亡くなる前日まで、お医者様や看護師さんたちと笑って話していたそうです。

生前、母は何かの折に、「私に何かあっても延命措置は必要ないからね」とはっきりと私に伝えてくれていました。

私はその言葉をしっかりと肝に銘じましたし、おかげで迷いなく母の治療方針を決めることができた。母の没後、そんなふうに意思を伝えてくれたことに対して母に深く感謝しました。

後編につづく

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