人生で一番素晴らしい出会い

――今までの人生の中で一番素晴らしい出会いは何でしたか?

中園 私、今から綺麗ごとを言います。私は本当に大石さんに出会えてよかったなと思っているんです。実は50代に差し掛かった頃にパタッと仕事がなくなった時があって、恐怖だったし、このまま引退しなくちゃいけないのかなと思ってました。大石さんに愚痴ったところ、NHKに私を連れて行ってくださったのです。今の私があるのは大石さんのおかげだと感謝していますし、尊敬申し上げてもいますし、大石さんを見習ってあとを着いて行こうと思っています。

大石 中園さんがNHKで仕事をしたことがないと言っていたのは覚えてますけど、仕事がなくなったなんて聞いたかな? 私としては中園さんのピンチを救ったというのではなく、NHKでやったことないんだったら、ちょっと力のある人を紹介してあげるって言ったんですよ。それに誰でも紹介したわけじゃない。中園さんならNHKで十分に活躍できる人だと思ったからです。実際に、そこから『はつ恋』が生まれて、高く評価され、『花子とアン』『西郷どん』『あんぱん』と続いてるんですから。

中園 『はつ恋』以前は自分の企画を出すということにも自信を失っていたんですけど、NHKだったら若作りしなくても等身大の自分で脚本を書くことができたので、自分らしいものを書けるようになって息を吹き返すことができたと思っています。大石さんはそれ以前にも私に向田邦子賞をとらせてくれようとして具合が悪くなるくらい頑張ってくださったこともありましたよね。

大石 私は選考委員だったのですが、中園さんの『ハケンの品格』が最終候補に残っていて、その頃はまだ中園さんに会ったこともなかったんですよ。ただひたすらに作品がいいということで戦って、でもその時は1票差でダメで、ショックで倒れそうでした。自己中な私が人の為に戦った唯一の思い出です。(笑)

イメージ(写真提供:Photo AC)

中園 自己中なんかじゃないんですよ。(笑)

残間 大石さんの素晴らしい出会いとは?

大石 お世話になった人はたくさんいますけれど、私の脚本家としての扉を開いてくれたのは1996年に放映された朝ドラ『ふたりっ子』の時のチーフ監督です。当初の朝ドラは家族っていいなと思わせるような甘くて緩い作風で、視聴率もとっていましたが、ある時チーフ監督が「もっと毒を出したら? あなたの書くエッセイを読むと毒があって面白いのに」って。で、やり過ぎるところはこちらで調整するから、とりあえず全部毒を出せって言われたんです。「えっ、そんなこと言う人はじめて」と思いつつ、やりたいように書いたら、向田邦子賞と橋田賞の受賞につながったので、そのチーフ監督には恩義を感じてます。