大雑把派ではあるが…

ぼくはくり返しますが、大雑把派です。

研究者を名乗る以上、色々なことを考えるわけですが、考察にも軽重があって、どちらでも良いことと、きっちりと自分の考えを持つべきことは峻別するべきだと考えている。まあそこまではいいのですが、ぼくの場合は多くを「どちらでも良いこと」に分類するものだから、「あいつはいい加減だ」との誹りを受けることになるわけです。とほほ。

そんなぼくでも、それはまずいんじゃないかな、と渋い顔をすることがあります。それは歴史研究者を名乗る人が、重くてしかるべき考察を安易に語ることです。

軽い考察ならば良い。ぼくは大雑把ですので、どうでも良い、でスルーします。でも重い考察はそうはいかない。きちんと全体像を構築してから、初めて語るべきです。

ゆるがせにできない実例を、紹介しましょう。よく「秀長が健在ならば豊臣政権は生き残れた」とか「秀長はもう一人の秀吉だった」との評価を目にしますが、まさにこれです。

もちろん、このドラマは秀長が主人公です。だから、秀長を持ち上げることはドラマ的には問題ありません。でも歴史学としてはどうなのでしょう。