秀長が長生きしていたとしても…

そんな「冷たい」秀吉が、肉親だからと甘い態度を取るでしょうか。ぼくは取らないと思いますよ。

必要とあらば母ですら家康の人質に送る。中年に差し掛かった妹を離縁させ、家康の妻にする。そんな秀吉ですから、自分の判断に容喙してくるようなら、肉親であっても許さない。まして、もう一人の秀吉として振る舞うなんて論外です。そんな弟ならば、源頼朝のように、足利尊氏のように、粛清するでしょう。

そうならなかったのは、秀長が賢く兄を理解し、徹底的な「補佐役」として振る舞ったから。秀長の賢さはそこにこそあったのです。

もう一つ。これまたじっくり考えるべき課題ですが、ぼくは豊臣政権が短命に終わったのは、端的に言えば、朝鮮出兵が大失敗して人心を失ったからだと思っています。秀頼が幼かったからではない。また、朝鮮出兵は秀吉の大きな目的のもとに時間をかけて準備され、実施された大規模な戦役であった、とも理解しています。

とすると、秀長一人が反対したからといって、「専制君主」秀吉が判断を変えるわけはないでしょう。また、それが失敗して豊臣の世が終わったとすれば、秀長が長生きしたとしても、政権の崩壊を止めることはできなかったでしょう。

とまあ、無責任な言説はそれこそ感情的に好きになれないので、機先を制して注意を促しました。ですがもう一度言いたいのは、これがドラマである、ということです。

歴史研究者を名乗って一定の責任を負わねばならぬ人に対しては思うところがありますが、そうでなければ、個人的な引っかかりはありません。

どんな秀吉が演出されても、秀長が兄を凌ぐような活躍しても、それに対してみなさんが様々な意見を持ったとしても、全く自由だと思います。どんどん盛り上がって参ろうではあーりませんか。

ということで、また1年、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

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