(写真提供:Photo AC)
1月4日から、2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の放送がスタートします。仲野太賀さん演じる本作の主人公は、天下人・豊臣秀吉の弟である豊臣秀長です。歴史の教科書にも載っていない彼は、いったいどのような人物なのでしょうか?今回は、書籍『図解 豊臣秀長』をもとに、歴史研究者で東大史料編纂所教授の本郷和人先生に解説をしていただきました。

天下の公儀のことを任された秀長

豊臣秀長をまったくご存じないという方に、秀長が豊臣政権においてどのような役割を担っていたのか、どれほどの影響力を持って戦国時代に活躍していたかについて話をしましょう。秀長が豊臣政権で果たしていた役割は、実に大きなものでした。

それを示すエピソードがあります。九州の豊後(現在の大分県)を本拠地とした大友宗麟(おおともそうりん)という戦国大名がいました。宗麟はキリシタン大名としても有名です。

天正14(1586)年、宗麟は大坂城で秀吉と対面しました。宗麟は、薩摩(現在の鹿児島県西部)の島津氏の攻勢に対抗するべく、秀吉に援助を求めにやって来たのです。秀吉は、宗麟を黄金の茶室に招き入れて千利休に茶を点てさせ、自ら城内を案内するなど歓待し、励ましました。

次に宗麟は秀長のもとを訪ねました。その際に秀長は「何事も自分が心得ているから、心配しなくてよい」と伝えて宗麟を安心させ、さらに「内々のことは宗易(そうえき)(利休)に、外様(そとさま)のことは私に何でも相談しなさい」と声をかけたと、宗麟は手紙に書き残しています。

つまり、秀吉との相談ごとで内密のことは利休が、公儀のことは秀長がそのルートを握っている、ということです。秀長は豊臣政権の調整役を務め、また秀吉にも直言できる貴重な存在だったわけです。

それほどの重要人物である秀長が、その存在をこれまであまり知られてこなかったというのは、確かに疑問が残りますね。