秀長の評価が覆るきっかけ

おそらく秀長の評価が覆るきっかけとなったのは、秀長の死後200年以上たってから書かれた『聿脩録(いっしゅうろく)』という書物と考えられます。『聿脩録』は、秀長とゆかりの深い藤堂高虎という武将の事績をまとめたものです。

それによると、秀長の人物評は「人となりは温恭で、長者の風格があった」「関白(秀吉)は法を厳しく用いたが、秀長は寛仁をもってこれを助けたので、諸侯たちは秀長を頼った」とあります。しかし、『甫庵太閤記』をはじめとした『太閤記』で定着してしまった秀長のイメージを覆すまでには到らなかったようです。

(写真提供:Photo AC)

秀長が再評価されるようになったのは、それからさらに200年ほど後、20世紀以降のことになります。秀吉や豊臣一族の研究が進み、それとともに秀長の研究も進んだことで、大友宗麟のエピソードや『聿脩録』の秀長の人物評に光が当てられ、それからは「秀吉のえこひいきで出世した無能な武将」から「有能で温厚な優れた武将」という評価に変わっていったと考えられます。

司馬遼太郎(「遼」は正しくは二点しんにょう)さんの『豊臣家の人々』や堺屋太一さんの『豊臣秀長―ある補佐役の生涯』などの歴史小説も、後者のイメージが反映されています。

※本稿は、『図解 豊臣秀長』(興陽館)の一部を再編集したものです。

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