カフェーダイヤは新富町市場から櫻橋(さくらばし)通りを挟んで向かい側にある。

 大正町の家でセーラー服から水色のワンピースに着替え、玉蘭が調べてくれた開店時間の十七時にあわせてハルがカフェーの前までいくと、久留米絣の藍色の浴衣を着た橘京也(たちばな・きょうや)が立っていてどきりとした。劉(ラウ)がくることはあっても、まさか京也がくるとは思ってもいなかったのだ。

 京也はハルに、ひさしぶりですね、とそっけなく挨拶をして、カフェーのドアを開けた。京也のあとを追ってハルもカフェーに入る。

 カフェーダイヤは天井が高くて広々としていた。赤いツイードのソファーが並び、天井にはオレンジ色の球形の照明が吊られている。まだ客はまばらで、女給たちは手持ち無沙汰といった様子で、ソファーやカウンターの向こうの椅子に腰掛けて雑誌を読んでいた。

 蓄音機のすぐそばに座る、赤いワンピースの女性がジョーではないかとハルは直感的に思った。カフェーのなかでいちばん目立っていたから。

 京也に視線で合図をしてから、ハルはその女性に歩み寄って、ジョーさんかしら? と声をかけた。  

「どこかでお目にかかったかしら?」

「いえ、会うのははじめてです……」

 ハルが名乗ろうとするのを止めて、その女性がいった。

「ちょっと待って。おふたりのこと、いま当ててみますわ。わたし、手相をみるのが得意ですの」

 そういうとその女性はさっとハルの手を取った。しばらく手のひらをじっと見てから口を開く。

「お姉さんは、そうね、ものを書くお仕事。女性の新聞記者はめずらしいから雑誌の記者さんってところかしら? そうすると、そちらの紳士はさしずめ挿絵画家さん?」

「どうしてわかったの!」

 ハルが驚きの声を上げると、その女性は微かな笑みを浮かべて種明かしをした。

 どちらも相手と近づきすぎないように距離をとっているから恋人でも友人でもなく、仕事上のつきあいだということがわかる。京也はたたずまいが芸術家の雰囲気を漂わせていて、着物の袖に墨のような汚れがついているので画家かデザイナー。ハルは、髪型だけ不釣り合いだが、指の鉛筆があたるところが硬くなっているからものを書く仕事。そのふたりが一緒にいるということは、雑誌の取材にちがいない――。  

 なるほど、これだけひとを見抜く力があるならカフェーダイヤのジョーが人気女給というのもうなずける。

 案内された席についてすぐ、ハルはちょっとした仕返しのつもりで口を開いた。

「あたしたち、雑誌『黒猫』で働いています。いつも投稿ありがとうございます。ジョーさん、いえ、林秀玲さんとお呼びしたほうがいいかしら?」