エンターテインメントと観光と主体性

エンターテインメントと観光は、非日常的な時間と空間の享受で感受性が刺激される娯楽という点で同じ効果を持ちながら、本質的には異なるものであるはずだ。受動的に楽しませてもらうか、能動的に楽しみを発見しに行くかの違いがあるのだから。

思っていたより食べられなくなった胃をさすりながら、私はソウルの片隅でエンターテインメントと観光と主体性について考えた。目的地にたどり着くたび、果たしてこれは能動的行為なのか、それとも受動的行為なのか、判断がつかなくなってきたからだった。

観光客は額縁だけ持って観光地に行き、そこに実体験という写真を入れて帰ってくる。観光客が自分の感性で風景を切り取るか、この写真を入れろと親切に提供された額縁サイズのモチーフや景色を撮るか。日本でもよく見る、SNS映えする生クリームたっぷりのスイーツなどは、まさに後者である。実体験ではあるが、他者の視点の追体験でしかない。

極端に商業化されたツーリズムは、観光客から固有の視点を奪う。かく言う私も、こちらの視点を強く誘導してくる魅力的な風景、たとえば撮られることを目的に建造されたであろう巨大なオブジェなどを、何枚もカメラに収めた。意志を強く持っていないと、提供物に抗えない。

アメリカ人の友人と京都へ旅行した時、彼女は神社仏閣の紋様の写真ばかり撮っていた。寺全体を写した写真は一枚もなかった。なにをやってんだとあの時は思ったけれど、いま思い返せば、あれこそが、彼女独特のユニークな視点であり、実体験だった。彼女はまごうことなき観光客だったのだ。

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