当時の大阪市は大都市へと成長を遂げていた
「世界の大大阪」とは大きく出たものだが、それも故なきことではない。この文章が書かれたのは1926(大正15)年初頭。その前年に大阪市は市域を拡張し、人口で東京を抜いて日本第1位、世界では第6位とも第7位とも位置づけられる大都市へと成長を遂げている。
読者の中には、文中の「如何なる犠牲をも躊躇」せずという物々しい言葉から「軍国主義」や「全体主義」といったキーワードを想起する人もいるかもしれない。実際、大阪を日本に読み替えれば、すんなり意味が通ってしまうから、それも決して間違いではない。しかし、時代性を考えれば、日本全体がそうしたムードに包まれていくまでにはまだ少し時間がある。
この「早さ」は、二重の意味で重要である。一つにはこの時代の大阪という都市がその後の「軍国主義」や「全体主義」にも分岐しうる、より広範な変化を代表していたこと。第二に、中央に先駆けて時代の先端を走ることが必ずしもローカリティの突出を保証しないこと。これらをともに示しているからだ。
当時の具体的状況に照らしながら、順を追って説明しよう。
