(写真提供:Photo AC)
1920年代から30年代の大阪市は「大大阪(だいおおさか)」と呼ばれていました。この大大阪について、「人口で東京を抜き、日本最大の都市として存在感を際立たせていた」と語るのは、桃山学院大学社会学部准教授の長崎励朗先生(崎はたつさき)です。そこで今回は、長崎先生の著書『大大阪という神話-東京への対抗とローカリティの喪失』から抜粋し、ご紹介します。

雑誌『大大阪』の巻頭言

我等はこゝに於て大大阪主義を強調する。大大阪市民の血に流れる自治的精神と建設的精神を振起するものは実に大大阪主義である

米国人が米国第一主義(アメリカンファスト)によつて今日の成功を贏(かちえ)たごとく我等は大大阪主義によつて世界の大大阪たらしめねばならぬ、即ち大大阪市民たるがため大大阪のために如何なる犠牲をも躊躇するものであつてはならない、これ最も我等が誇るべき互助の伝統的精神である。

然も我等が今日大大阪主義を唱道する所以のものは市勢の現状が市民精神作興の急を告げるがためにほかならぬ。

大大阪主義による二百万市民の大同団結こそ軈(やが)ては東亜の大大阪たらしめ世界の大大阪たらしめねば止まぬのである。(「大大阪主義の提唱」『大大阪』2巻2号、1頁)

 

断っておくが、これはいわゆる「大阪ナショナリズム」を揶揄する風刺漫画やコントの類ではない。都市問題の研究と啓発を目的に創刊され、数々の著名な学者や政治家が寄稿した雑誌『大大阪』の巻頭言だ。発行元は大阪都市協会。1925年に大阪市が設立し、2007年まで存続したれっきとした財団法人である。