均質化の欲望

1925年と言えば、大衆という言葉が人口に膾炙しはじめ、遠隔通信可能なマスメディアたるラジオが登場した時代である。つまり、ちょうど日本全体が文字通り大衆社会のとば口に立っていた頃、大阪は時代の先端に躍り出たことになる。

これには偶然の要素も手伝っていた。1923年の関東大震災で大打撃を受けた東京が復興に追われていたからである。事実、1932年には、復興が一段落した東京市の市域拡張にともなって、人口1位の座を明け渡している。

(写真提供:Photo AC)

それでも、この時期を「大大阪時代」として称賛する声がやまないのは、当時の大阪に、その後の日本社会の源流とも言える動きが多く見られるからだろう。

ラジオ局は国民統合に向けた先駆的な番組を制作していたし、現在にいたるまでテレビ業界で不動の地位を誇る吉本興業が急速に成長を遂げたのもこの前後である。さらに、大大阪のサラリーマン層が居を構える郊外では、私鉄の雄である阪急電鉄が、宅地開発や銀行ローン、沿線における娯楽の提供といった新しいビジネス手法を次々に打ち出していた。

筆者は、これらの大大阪やその周辺で生起した一連の出来事の背景に、そして冒頭に引用した文章の背後に、現代にいたるまで日本社会の底流を流れ続けている、ある共通の欲望を見る。本記事では、これを「均質化の欲望」と呼びたい。人と同じになりたい。人々を一括りに扱いたい。人は同じでなければならない。あの時代、人々を駆り立てていたのは、この種の衝動である。

均質化の欲望は、前述の大衆社会化を促す原動力であるとともに、国家が大衆を「国民化」することを助け、人々が自分や他者を「近代化」する論理にもなり得た。それらは複雑に絡み合いながら、時代の変化を促し、現代社会の基底を形成していったのである。