吉本が「十銭万才」の興行を開始

当時の万才が人気を得るきっかけになったとされるのが、1930年に吉本が千日前南陽館(現在のなんばグランド花月付近)で「十銭万才」の興行を開始したことだった。『吉本興業百五年史』は当時のコーヒー一杯という低価格と万才の面白さにひかれて新たな万才ファンが生まれたとしながら、客層の変化に言及している。

 

客層にも変化が起こり、職人や工員中心だったファン層が、洋服のサラリーマンや学生が目立つようになった。庶民層からインテリや中産階級層にまで広げる大きな役割を果たしたことになる。(吉本興業 2017:16頁)

『大大阪という神話-東京への対抗とローカリティの喪失』(著:長﨑励朗/中央公論新社)

 

低価格が集客につながったのは間違いないが、価格を下げたことでインテリや中産階級の客が入るようになったというのでは論理がつながらない。客層の変化はむしろ万才という話芸の性質に原因を求めるべきだ。この現象を考える上では、落語を比較対象におくと、より分かりやすくなる。

当時の吉本の功罪としてしばしば挙げられるのが漫才の発展と上方落語の衰退である。たしかに、吉本もこの現象に一役買ってはいる。だが、こうした傾向はそもそも時代の流れであったと考えた方がよい。その予兆は以前からあったし、それに乗って成長してきたのが吉本なのである。

初期の吉本は「安価で一般受けを狙った路線」だったが、実はこれは苦肉の策だった。当時の吉本の寄席には格の高い落語家が出てくれなかったため、「色物」と呼ばれ、落語などより一段低く見られていた曲芸や奇術(手品)、そして万才といったものを中心に寄席を構成するしかなかったのである。そんな吉本が成長できたのは、落語よりもそうした色物を好む層が増加しつつあったことを意味する。