「漫才」と表記を改めることが正式に宣言された

こうした事情を考慮すれば、文脈を共有しなくても楽しめる娯楽に人々が集まるのは当然の帰結である。漫才の客層として新しく加わったインテリや中産階級とは、その多くが大阪の船場に限定されるような古い文化を共有しない、新しい都市労働者たちだった。

10銭で入れる寄席に渾然一体となって詰め込まれる工場労働者と背広を着たサラリーマン。それは、当時吉本興業の経営で中心的役割を担っていた林正之助が発見した「大衆(※)」そのものだったはずである。

『吉本興業百五年史』によれば、十銭万才が始まって3年後の1933年、現在で言うプレスリリースのような形で新聞社などに配られていた『吉本演藝通信』で「漫才」と表記を改めることが正式に宣言される。漫才こそ大衆の誕生を言祝ぐ新しい時代の演芸であったと言えよう。

※現在の意味での「大衆」という言葉は1920年代後半に忽然とあらわれ、瞬く間に当時の新語・流行語となった

※本稿は、『大大阪という神話-東京への対抗とローカリティの喪失』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

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大大阪という神話-東京への対抗とローカリティの喪失』(著:長﨑励朗/中央公論新社)

本書は、大衆社会におけるラジオ、吉本興業、職業野球、宝塚歌劇など多様な切り口を通じて、その軌跡を追う。

「大阪らしさ」の源流を描き出しながら、現在まで続く日本社会の均質性の問題を照らす試み。