1920年代から30年代の大阪市は「大大阪(だいおおさか)」と呼ばれていました。この大大阪について、「人口で東京を抜き、日本最大の都市として存在感を際立たせていた」と語るのは、桃山学院大学社会学部准教授の長崎励朗先生(崎はたつさき)です。そこで今回は、長崎先生の著書『大大阪という神話-東京への対抗とローカリティの喪失』から抜粋し、ご紹介します。
「まんざい」の表記
漫才はもともと「萬歳」と表記される風習が源流にあった。
祝い事の際に歌い踊りながら才蔵と太夫という役回り(ボケとツッコミの原型とも言われる)を与えられた二人組が軽妙なやり取りで笑いをとりながらめでたい言葉を並べるという形式が基本にある。
それが地域ごと、時代ごとに様々な変化を被りながら現在の形にまでいたったが、1920年代まではまだしゃべくり漫才のような形式に固定されていなかった。源流の萬歳の中からお笑い要素を取り入れて、浪曲や民謡など様々な芸と混ぜ合わせることで多くの演者が独自の「まんざい」を展開していたのだ。
この時期の表記は人によって様々で、吉本興業としては簡便な「万才」の表記が多かったようだが、『笑賣往來』上ではキネマ花月という寄席で働いていると思しき人物が「萬歳」の表記を用いてもいる(長谷川生 1926)。