当時の雑誌に、若い歌右衛門さんがとても嬉しそうに「息子二人」と炬燵にいるグラビアが載っていた。
――ええ。しかし、普段は優しかったけれど、稽古となると厳しくて、弟は耐え切れずに実家へ逃げ帰ったりもしましたよ。(笑)
河村の母は、僕たちの初舞台の時は歌舞伎座に出入りしてくれたりはしましたけど、病弱でしたからもうほとんど2階のベッドにいて。時折、我々兄弟がそっと寝室に忍び込んで、驚かせたりしたことを覚えています。
でも母はその2年後にはもう亡くなってしまう。家の中のことは最初から実家の祖母が同居して取り仕切っていましたし、実母は天ぷらを揚げるのが上手で、父の歌右衛門も「まあ、姉さんの天ぷらは本当においしいね」ってよく言ってました。
実家との関係が切れたわけではありませんから、寂しかったりつらかったりはしませんでしたね。
でも小学校の放課後には踊りや鳴り物の稽古事を何軒も掛け持ちさせられたので、学校の友だちと遊べなかったのがつらかったです。マア、稽古はずいぶんサボったけどね(笑)。
舞台に出ることは好きでしたよ。お客さんに手を叩かれて、もうこんな面白いことはないな、って感じでした。