1956年1月、親子で演じた歌舞伎座での初舞台「蜘蛛の拍子舞」(『吾背子恋の合槌』)より。写真左から小坊主=二代目加賀屋橋之助、妻菊実は蜘蛛の精=六代目中村歌右衛門、小坊主=二代目加賀屋福之助(写真提供:松竹)
大成駒と言われて絶対の権威を誇った歌右衛門は、歌舞伎役者の品格を重んじ、テレビやCMへの出演を許さなかったと聞く。
――そうなんです。僕が十代後半くらいの時にいわゆる第1次三之助ブームというのが起きて、菊之助、新之助、辰之助という。つまり七代目菊五郎さんと、亡くなった十二代目團十郎さんと、早逝した初代辰之助さんですね。
この3人がマスコミに出てすごい人気者になって、当時渋谷の東横ホールなんかに出て、女の子たちに出待ちされたりしてるのなんか見ると、もう羨ましくてね(笑)。
でも父はあくまでも歌舞伎一筋に行かなくてはダメという教育方針でしたからね。父自身も新派には出ましたけど、映像には出ておりません。
ですから僕も新派の舞台にはかなり出ておりますよ。『滝の白糸』とか『日本橋』とかに。

