寂しくない人生を選んだはずなのに

結局、私が嫌なのは男と女でなくなったことじゃない。安全と引き換えに情熱を捨て、自分を誤魔化しながら生きている自分が「あわれなレス妻」として分類されている事実が、死ぬほど腹立たしいのだ。

街で見かけるあの夫婦たちはどうなんだろう。彼らは孤独から逃げるためではなく、互いに理解し合い、魂を擦り合わせ、本当の愛で結ばれているからこそあの湿度を保てているのだろうか。

母としての幸せと、女としての喜びを両立させている人たちがいる。私はその「全てを持っている人たち」がどうしようもなく羨ましい。

これは私が選んだ結末だ。ときめきよりも生存を、ドキドキよりも安全を優先した。もしかしたら、刺激のない彼を選んだ時点でこの未来は決まっていたのかもしれない。

しかし、なんとか努力を怠らなければ、私にも彼女たちのような人生を送れたということはなかったのだろうか? そのルートの入り口を、どこかで見落としていないだろうか?

寂しくない人生を選んだはずが、結局、孤独からは逃げられていない。

私は彼に救われた。彼がいなければ、今、この社会で生きていられなかっただろう。私はもう、この生ぬるい幸福から一生抜け出せないのかもしれない。

それでも、安全で退屈な温室の中から外の嵐の中で手を繋いでいる彼らを、羨ましく思うことはやめられない。 

ガラス一枚隔てた向こう側にある、手に入らない熱と湿度。繋いだ手を離さずに、ベビーカーを押しているあの夫婦の背中が、今の私には一番遠い理想郷に見える。

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著者・斉藤ナミさんと婦人公論.jp池松潤が日常に潜む「セックスしている夫婦への嫉妬」を徹底解剖。世界史を動かした嫉妬の正体や、AIに感情を教える「嫉妬AI辞書」まで語り尽くしました。
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