その夜、夕食の後にプリンを食べた。
 上の部分にはカラメルソースの代わりに緑色のソースが掛かっている。見た目は抹茶ソースだが食べてみると蓬の香りのする甘いソースだった。下のプリン生地は淡い薄黄緑色だ。こちらはほんのり香りがする程度だった。上のソースにはすこし癖があるが、下の生地は食べやすいのでバランスが取れていて美味しい。
 プリンを食べ終わっても、食卓についたままじっとしていた。
 今日、もらってきたのはプリンだけではない。霧の遺品もだ。ちゃんと中身を確認しなければ、と思うがなかなか身体が動かない。そんなとき、瀬良の言葉を思い出した。
 ――木綿子さん、ほんまに大丈夫ですか?
 そうだ。私は大丈夫だ。大丈夫なのだから、ちゃんとしなければ。
 和室に置いてあった紙袋から遺品を取り出した。一番上に入っていたのは、霧がいつも着ていた印半纏(しるしばんてん)だった。その下には御履物と書かれた紙箱がある。見ただけでわかる。下駄だ。いつも履いていた二本歯の桐の駒下駄。
 私が彼とはじめて出会った日、印半纏と下駄を履いて現れた。薬草の匂いの漂う暗い店の中で、彼は静かに、そして寂しそうに笑ったのだった。
 私は藍染めの印半纏を取り出し、畳の上に広げてみた。襟字は右が「白鳥酒造」で左は「蓬命酒」と染め抜いてある。裏を返すと背紋は白鳥が翼を広げた白鳥紋、腰柄は角字で白鳥蔵だ。
 私は手を伸ばして印半纏に触れた。冷たく、厚みがない。
 これを着ていた男はもういない。霧は死んだのだ。改めて思い知らされる。私は思わず半纏を掴んで抱きしめた。声にはならない叫びが全身から溢れる。中身のない空っぽの布地は頼りなく、私の腕の中でくしゃくしゃと萎れた。
 私はまだ霧の死を受け入れられないでいる。突然の死ではなかった。私はいずれ霧が死ぬことを知っていたし、それを承知で愛し合った。だから、今さら混乱したり哀しんだりするのはおかしいと思う。
 なのに、今になって泣き叫び、立ちすくんでいる。愛する人の死は魂への拷問だった。
 それでも、こんなとき、ドラマや映画なら主人公は決意するのだ。過去を振り返ってばかりではいけない。前に進まなければ、と。
 だが、私はどこが前なのかわからない。どうやって進めばいいのかわからないのだ。
 

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