祖父が倒れ、代役をつとめることに
<鴈治郎さんが初めて徳兵衛を演じたのは、1980年12月の南座の顔見世興行。祖父の二世世鴈治郎さんが徳兵衛、父の藤十郎(当時二代目扇雀)さんがお初をつとめていたが公演期間中に祖父が倒れて、鴈治郎さん(当時・智太郎)が代役をつとめるつとことになった>
私が慶應義塾大学の3年生か4年生の時です。祖父の体調不良で顔見世の昼の部の役を休む事になった時から、徳兵衛の役も、一座はみんな「代役があるな」と思っていた。でも誰も手を挙げる人がいなくて、最終的に松竹さんが「お孫さんで」と言うので、私がやることになりました。一座に入っていない、孫かもしれないけれどほとんど経験のない役者に代役が来るようなことは今でもあり得ません。それぐらい『曽根崎心中』は、祖父と父だけのものになっていたのでしょう。
代役の16日間、できたのはできたけれど、ただやっただけであって、実際には全然できていなかった。その後、父が私を相手役に選んでくれない時期がありました。祖父も同じでしょうが、自分が演じやすい俳優、芝居が最もいいものになる俳優しか選ばない。そうでなければ、息子であっても使わないのは当然です。
私は、挫折を味わいました。その間、父のお初の相手をつとめた徳兵衛の役者は3人いらっしゃったかな。私は、完璧にお初に“浮気”されたわけです(笑)。1999年の祖父の17回忌追善公演の時に再び、使ってもらえるようになりました。徳兵衛は自分のものだという自負が生まれました。