「あの、よかったら中に入って待っててください。ちょっとスマホで呼んでみます」
「いえ、お忙しいのに悪いです。また来ますから」
「いや、大丈夫。待っててください」
剣人が頸から掛けていたスマホをタップした。呼び出してからしばらく間があって、ようやく応答があった。
「すみません。今、山際さんが来はって。待っててもらいますか? え? でも。……わかりました。はい。……じゃあ」
不満そうな声で通話を終了すると振り向いた。
「すみません。やっぱちょっとすぐには帰って来られへんみたいで、相当お待たせすることになって申し訳ないから、って……」
私はちらと古い柱時計を見た。ここに来るまで、思ったよりも道路が混んでいて時間が掛かってしまった。もう余裕はない。これ以上帰りが遅れたら父はどれだけ怒るだろう。
「いえ、いいんです。私もあんまり時間がなくて差し入れだけ渡すつもりでしたから。お忙しいのに気を遣っていただいてすみません。また来ます、とお伝えください」
失望を感じる自分を懸命に叱った。簡単に用事を切り上げて帰って来られるわけがない。そもそも、約束もせずに勝手に押しかけてきたのが悪いのだ。
剣人が店の出口まで見送ってくれた。
「あの、本当にまた来てください。霧さんは……ええと旦那は山際さんが来てからすごく……幸せそうやったから」
驚いて剣人の顔を見た。痛々しいほど真剣な眼でじっとこちらを見ている。私が来て幸せ? だとすると、霧は一体どんな日々を送っているのだろう。これほど嬉しくて哀しい言葉はなかった。
「……よろしくお伝えください」
せめて一目会いたかったけれど、諦めて帰った。
