大学卒業後、最初に就職したのはカーオーディオやカーナビゲーションの会社。広報に配属され、社内広報を担当しましたが、28歳でいわゆる寿退社。女性は結婚したら退社するのが慣例みたいな会社だったんです。

しばらく専業主婦をしながら、何か資格をとろうと、税理士試験の勉強を始めました。最初は習い事感覚でしたが、31歳で離婚をしたので、これは生計を立てるためにも本腰を入れて勉強をしなければ、と。

離婚後、いわゆる「キャリアウーマン」の道に進むぞ、と意気込んで就職した会社で配属されたのは、不動産ファンドの部署。でも、ここがまったく私に向いていなくて。

入社前に不動産証券化に関する本を読んだりもしましたが、その程度の知識ではまったく太刀打ちできません。体力的にも精神的にもしんどくて、3年で退社。

その後、同じような業界で転職を繰り返しました。でも、そもそも私は「投資」というものにいまいち興味が持てなかった。だから当然成果もあげられないんです。

外資系の会社にいた時は、まわりに帰国子女も多く話題についていけませんでした。営業職の人たちは収入も多く、休日は別荘に集まってシャンパンを飲んだりしているけど、それにもなじめず。あの頃は、ここは自分の居場所ではないんだろうな、という気がずっとしていました。

私生活では36歳で再婚。30代は公私ともに慌ただしい日々でした。そうこうしているうちにリーマン・ショックのあおりで、会社の雲行きがあやしくなってきて――。仕事も減り、時間もできたので、じゃあ習い事でもしようかなと、41歳の時に小説教室に行き始めたんです。

なんとなく自分は文章を書けるんじゃないかという思いは、昔からうっすらとあったので、適性があるかどうか、ちょっと試しにやってみよう、という感覚でした。

後編につづく

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