厳しい戒律…そして「愛のむち」という暴力
建築会社を経営する祖父の長女として生まれ、箱入り娘だった母は、新卒の会社で出会ったダメ男の父とすぐに結婚し、寿退社をした。22歳で私を、その2年後に弟を産み、専業主婦となった母は、父のギャンブル依存症を知っても別れることができなかった。
父のギャンブル依存症は酷くなり、家はたちまち貧乏に。母は、借金取りが家にまで来るような惨めな現実から目を背けるようにして宗教にすがった。
この世の誘惑は全て悪魔サタンの罠で、エホバを信じるものだけがやがてくるハルマゲドンという世界の終末を生き延び、永遠の楽園で末永く幸せに暮らせるのだ。
永遠の楽園ってなんなんだ。誰がどうやって運営するんだよ。
厳しい戒律、食前の祈り、週2回の集会、週末の布教活動、そして「愛のむち」という暴力。私には、普通の人々が思い描くようなあたたかい母娘の記憶をあまり思い出せない。
母との記憶を辿ろうとすれば、必ずその背後に宗教の影が張り付いている。母に愛されるためには神に従わなければならず、神に従わない自分を正すことが母の「愛」だった。
子どもだった私にはその愛が歪んでいるということにも気づけなかった。他の子と違うことに恥ずかしさと苦しさと悲しさばかり感じ、神の存在をイマイチ信じ切ることができない悪い人間だから、母は私を愛してくれないのだと思っていた。
そんなふうに倒錯した育てられ方をしてきた人間が、世の中が当たり前に信じて疑わない「母親を愛する」という絶対的な正解の眩しさに打ちのめされないはずがない。
学校では校歌を歌うことを禁じられ、国旗掲揚の時間は一人だけ下を向いた。体育の時間は「競走は争い事だから」という理由で見学を強いられた。友人たちが無邪気に楽しむ輪の外側で、私はいつも透明な壁に隔てられていた。
母はそんな私を歪な笑顔で見つめ「神はどこでもあなたを見ているよ。お母さんのことも神のことも悲しませないでね」と静かに命令するのだ。
そんなことバカバカしいとは思いながらも、子どもだった私には「どこかでエホバは見ているかも」「本当にハルマゲドンで死ぬかもしれない」「母が悲しむ」という恐怖と不安がどうしてもぬぐい切れず、死ぬほど恥ずかしくても惨めでも、ちゃんと一人で戒律を守った。
