生きている人間にも、虫はわく

ある年の夏、私は蛆虫の見事な掃除ぶりを観察することができた。ベッドで亡くなった82歳の妻と、その妻と一緒に暮らしている1人の男性が発見されたので来て欲しい、との要請があり、私は現場に駆けつけた。男性は毎晩、妻の横で眠っていたようだ。ベッドに横たわる老婦人を最初に発見した警官らも、死亡確認のために呼ばれた医師も、彼女は死んでいると判断した。だが、かなり特殊な状況なので法医学医にも見せたほうがいい、ということで検察は私にも声をかけたようだ。

私はすぐに、婦人は死んでいないことに気づいた。死の典型的なサインがいっさい見られなかったからだ。私の要請で、救急隊がただちに到着した。私と救急隊は婦人の状態を評価し、へたに動かしたら死ぬ恐れがある、と判断した。意識レベルは極めて低くて完全な脱水状態だが、痛みは感じるらしく、触れられると顔をしかめた。

蠅はこの老婦人のところにやって来て卵を産み、卵はすでに蛆虫になっていた。産卵場所に選ばれたのは湿ったスポットだった。すなわち、老婦人の肌がシーツに触れることで汗が染み込んだ箇所、および尿で濡れた箇所だ(ベッドから動くこともできず、看病する人もいなかったので、彼女は寝たまま放尿するしかなかった)。この状態がどれほど続いていたのか、正確なところは分からない。しかし、蛆虫の大きさから判断するに、少なくとも1週間は経っていた。

寝返りも打てなかった老婦人の背中には、皮膚細胞の酸素不足が引き起こす褥瘡ができていた(背中が尿で濡れたことが事態の深刻化を招いた)。褥瘡の清拭に取りかかろうとした私たちは、皮膚細胞の壊死が進んでいて、蛆虫が壊死した皮膚に群がっていることに気づいた。背中の状態を確かめるために婦人の体をそっと持ち上げると、褥瘡のステージはかなり進んでいて、蛆虫の仕事によってところどころで皮膚は完全に消失し、胸郭が露出していた。

私は気を付けながらそっと持ち上げたものの、婦人は痛そうにうめき声を漏らした。無理もない。しかし、これは意識がいくらかはあることを物語っていた。救急隊は鎮静措置をほどこしてから婦人を病院に搬送した。残念ながら、彼女は意識を回復することなく、短期間で死去した。

夫は老人施設に収容されて元気を取り戻したが、妻の死の前後のことは覚えていなかった。当時は彼も妻と同じように脱水症状に陥っていたことで、譫妄に近い状態にあったためだ。

※本稿は、『死体は語りだす:法医学医が読み解く「死者からのメッセージ」』(三笠書房)の一部を再編集したものです。

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