何ごとにもおっとりとした梅玉さんが演技に開眼するのは、『頼朝の死』や「御浜御殿綱豊卿(『元禄忠臣蔵』)」など、一連の真山青果作品ではなかったでしょうか。

――そうですね。最初の青果作品が『頼朝の死』で、28歳の時でした。この時の演出は巌谷槇一さんで、その何年か後に『将軍江戸を去る』。

これは真山美保先生が演出でした。この時は徳川慶喜でも山岡鉄太郎でもなくて高橋伊勢守でしたけど、美保先生に新歌舞伎のテクニックを徹底的に教えていただきました。

「歌舞伎だからセリフを歌うところは歌わなければいけないんだけれども、あなたが市川壽海さんみたいな名調子なら、それで通るのでしょうけど、まだそこまでは行ってないから、もっとその役の性格をはっきりと出すようにしたほうがいいんじゃないの」っていうことで、何日も八王子の新制作座まで通ってお稽古していただいたのです。

ですから僕はこれが第3の転機だと思いますね。その頃、真山青果賞というのがあって、その時奨励賞をいただいて、のちに「綱豊卿」で大賞もいただきました。この時は「あんたは幸せだよ」と父がとても喜んでくれましたので、よかったなと思いますね。