筆者の関容子さん(右)と

父はすごい役者だった

そして梅玉襲名は1992年。『祇園祭礼信仰記』「金閣寺」の此下東吉と、『伊勢音頭恋寝刃』の福岡貢で四代目中村梅玉を襲名する。

――襲名の時は、父のおかげで本当にすごい皆さまにつきあっていただきました。『伊勢音頭』にしても、私の貢で父が仲居の万野、お紺が梅幸のおじさん、三枚目のお鹿が天王寺屋(中村富十郎)の兄さん、料理人喜助が播磨屋(中村吉右衛門)さんでしたからね。

父の万野は、ただの意地悪な女じゃあなくて、貢にちょっと惚れてるような不思議な色気が漂ってとてもよかったし、梅幸おじさんのお紺がとても素晴らしく、父もつくづく「誠三さん(梅幸)、いいねぇ」と言ってました。

襲名で忘れられないのは、大阪の中座で『良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)』を上演した時、父が汚れ役の渚の方に出てくれて、僕のお役は赤ん坊の頃、鷲にさらわれて良弁杉に置かれていた良弁僧正なのですが、これが何のしどころもない役で。

父はずっと息子を探し求めていて、やっと巡り会って涙ながらに「ありがとうございました、ありがとうございました」っていうところを熱演してましたら、その頃、薬師寺の管長だった高田好胤先生が客席から「こちらこそありがとう!」って声を掛けてくださったんです。

あとで好胤先生から「あんたは幸せだよ。あんないい『二月堂』の渚の方は初めて観たよ」って。たしかに父はすごい役者だったと思いますね。