ところで梅玉夫人の有紀子さんは、白樺派の作家・武者小路実篤のお孫さん。「仲よきことは美しき哉」の色紙でも有名な祖父の願いのゆえか、至って円満な御夫婦ですね。

――家内は元バレリーナでして、『白鳥の湖』なんかも踊っていたらしいです。僕は観てないけど。歌舞伎が好きで、演劇評論家の利倉(としくら)幸一さんのご紹介で父の楽屋へ来るようになったんですよ。

5、6年もの間、毎月のように楽屋へ来てました。そのうちに父が「長男のお嫁さんに」って。「大事にしますよ」と言ったらしいです。

それで僕が30の時、結婚しました。十二代目團十郎さんもそのあくる月に結婚して。彼とは生まれた年も結婚した年も同じで、お互いの娘と息子も同い年なんですよ。

娘の名前はなぎさで、父には「なーちゃん」と呼ばれてずいぶん可愛がられてました。家内への「大事にしますよ」は、新居の壁紙――キッチンのド派手な黄色の花柄、洗面所のパンダ尽くしや、赤い花模様の派手で着られないような着物をたくさんとか(笑)。それが父の愛情表現でした。

男の子が生まれなかったので、今の莟玉(かんぎょく)を養子にしたのが2019年です。彼は一般家庭の子ですが、母親が大の歌舞伎好きで、小さい頃から劇場によく来ていたようです。6歳の時に新橋演舞場のロビーで「切られ与三郎」の真似をしてたら舞踊家の花柳福邑さんに声を掛けられて、入門して。

その花柳のお師匠さんが当時の歌舞伎座支配人・大沼信之さんと相談して、僕のところに連れて来られたのです。

そのうち飽きるだろうと思ってましたが、もう舞台に出るのが嬉しくて嬉しくて仕方がない感じで。ほかの俳優さん方からも可愛がられてお役をいただけたりするので、正式に養子縁組をして、梅丸改め莟玉に。この名前は家内が考えたのですが、父の若い頃の試演会が「莟会」でしたから。そこから取って。

 

これからなさってみたいことは?

――岡本綺堂の『番町皿屋敷』の青山播磨を、莟玉の腰元お菊でいつか演じたいと思っているんです。

 

ああ、きっと素敵な舞台になりますね。

 

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