2番目の家を壊すときのお祓いの様子。天井には、父が気に入って購入した、昔鰊御殿にかかっていたという骨董品の大きな電灯が。2つあったが、今の家では場所がなく階段の吹き抜けに1つだけ設置。ガラスの引き戸も、今回の家に利用したそう(写真提供:檀さん)

ものがきっかけで思い出がよみがえる

また、引越業者さんが音を上げたのが、父が集めた絵や書を額装したもの。「額は私たちが梱包します」とおっしゃったのでそのままにしておいたら、引っ越し当日に「えっ! こんなにあるんですか」と絶句。梱包するのに人が足りず、急きょ応援要請をしていました。

それらの額は、新しい家に作る6畳ほどの納戸に、きれいに並べて収納する予定でした。納戸といっても、人様に入って見ていただけるような空間にしよう。当初はそのつもりで設計したのですが、理想通りにはいかないものですね。納戸には今も、段ボール箱がうずたかく積まれたままです。

なぜ、そんなことになったのか。ひとつは、時間切れになったから。最後はまさに目をつぶる感じで段ボールにいろいろなものを詰め込み、トランクルームを2つ借りて預けました。でも、理由はそれだけではありません。ものには思い出が染みついています。片づけながら「これ、小さい頃によく目にしたわ」とか、「昔、好きだった」というものは、捨てがたくなってきたのです。

仮住まいではものが少ないすっきりした生活ができ、とても快適でした。新しい家は仮住まいより広いので、もっとすっきり暮らせるに違いない。そう楽しみにしていたのに、あに図らんや。引っ越しを終えてトランクルームから荷物が返ってきたら、「ぎゃーっ! こんなものがまだあった」「これ、どこに置けばいいの?」といったものがけっこう出てきました。