開けるのが怖い母が残した古トランク

ものがあるからこそ、記憶の扉も開かれます。私は記憶力が弱いほうですが、これから年をとるとますます記憶力も減退していくでしょう。そんなとき、思い出のとば口になるものがなかったら、思い出は消失してしまう。なかったことになります。私はそれまでものにこだわったことがありませんでしたが、ものっていいなと、今になってつくづく思います。

さて、納戸に詰め込まれたままのものを、今後どうするか。当分は、そのままにしておこうと考えています。

私には子どもがいません。受け継ぐ人が甥だか姪だか、はたまたその子どもたちなのかは知りませんが、その人たちが少し苦労したほうがいいんじゃないか(笑)。2世代下の人たちには、残されたものに関する思い出がないから、まったく思い入れがないはず。

いいものがあれば売れるだろうし、すべて処分してもいい。私が悩む必要はないんじゃないか、と思い始めました。納戸にはクチバシの欠けた巨大な鳥もいれば、母が捨てられなかったボロ布も残されています。それをどうするかで、もう頭を悩ませるつもりはありません。

1つだけ悩んでいるのは、母が残した古いトランクです。母は、大事な書類などはすべてそこに入っていると言っていましたが、怖くて開けられないのです。たぶん、父があちこちから借りたお金の借用書も入っているでしょう。

父は浪費家でしたが、お金がなかったので、あちこちからお金を借りていたのです。そもそも最初に家を買った時も、先輩作家たちからお金を借りたらしい。私が生まれる前のことですから、すでに時効だとは思いますが──。

ひょっとすると、衝撃的な手紙が入っているかもしれません。まさにパンドラの箱。開けるべきか、開けざるべきか。今しばらく迷ってみようと思います。