「政権交代の舞台」清洲城
続いて向かったのは清洲城。
現在の天守は復元ですが、ここは織田信長が尾張統一の拠点とした城で、のちに「清洲会議」が行われた場所。つまりこの城は“信長の出発点”であると同時に“秀吉が天下人へ近づいた地”でもあるわけです。
本郷先生の解説で特に印象的だったのは、「ただ強いだけの武将が生き残ったわけではない」という視点でした。もちろん武力も重要ですが、巨大な勢力を維持し続けるには、人・モノ・金をまわして組織を機能させる力も必要です。
信長は楽市楽座や関所の撤廃、キリスト教の保護などを通じ、それまでの武将と異なる“政治””経済””社会”システムを作ろうとしていました。また「天下布武」といった大きな目的を掲げることで領地を拡大する、今でいうパーパス経営の走りのような仕組みで組織を動かしていました。
(写真:婦人公論.jp編集部)
秀吉は、そうした優れた仕組みを継承した人物だったのではないか? 実際、秀吉は若い頃から、普請奉行や台所奉行など、実務的な仕事を数多く任されていたようです。
「草履を懐で温めた」といった話も、ただの逸話としてとらえるのではなく、「相手が何を求めているかを先回りして考える能力の象徴として捉えるべきでは」と本郷先生は語られていました。
大きな組織を動かすことができるのは、頭がまわり、気配りがきいて、まず目の前にたつ相手を動かすことができるような人物なのかもしれない。清洲城でのお話からは、そんな“組織論としての戦国時代”が浮かび上がってきました。
