秀長や高虎という存在を通して見えてくるもの

次に訪問した高虎公園と藤堂高虎ふるさと館では、秀長に仕えたとされる名将・藤堂高虎について学びます。

高虎は築城の名手として知られていますが、その才能を見出し育てたのが、今回の旅の大きなテーマでもある秀長です。秀吉が前面に立ち、人を惹きつける“表”の存在だとすれば、秀長は裏で調整を行い、組織を安定させる“裏”の存在だった。

本郷先生は「豊臣政権は、この兄弟の役割分担によって成り立っていた」としばしば語られます。実際、後世の史料には「秀吉は厳しかったが、秀長が諸大名との関係を和らげていた」といった記述も残されているそう。

また、信長や家康らに比べても家柄が圧倒的に弱かった豊臣家は、福島正則や加藤清正のように能力のある人物を見出し、優れた家臣に育てることで、その地位を強固にしていきました。

その象徴的な存在が藤堂高虎です。高虎公園近辺の高虎出生の地ではボランティアのガイドさんにお話をうかがいました。

(写真:婦人公論.jp編集部)

そのお話を通じ、高虎は単なる猛将ではなく、秀長らのもとでしっかりと学び、城づくりや空間設計に長けた“実務型の戦略家”となっていったことをうかがい知ることができました。今治や伊賀上野、津など、彼の関わった城はいずれも「どう守るか」だけではなく、「どう人と物流を動かすか」まで考えられていたようです。

75歳まで生きた高虎は、秀長・秀吉の死後は家康に接近。そのまま三代将軍・家光まで仕え、最終的には32万石の大名へと成長します。

ガイドさんとはここでお別れ。ありがとうございました!(写真:婦人公論.jp編集部)

英雄の陰には、必ず組織を支える人間がいる。ガイドさんのお話を通じて高虎について深く知り、見えてきたのは“戦国時代の組織論”そのものでした。