近江八幡で垣間見える“豊臣兄弟の強さ”

最後に訪れた近江八幡は、秀次によって整備された城下町。八幡堀を中心に、水運を活かして発展した町並みは現在も美しく残っています。

(写真:婦人公論.jp編集部)

近江と言えば”三方良し”で知られる近江商人で有名ですが、布団の西川やメンタームで有名な近江兄弟社、ここに来るまでに立ち寄ったラコリーナ近江八幡で有名な「たねや」グループ、さらに高島屋もルーツを持つなど、世界的にも有名な企業がこの地で誕生しました。

近江兄弟社さんの本社ショールームにて(写真:婦人公論.jp編集部)

そうした企業の繁栄の背景には、豊臣家が城を築いて町を整備し、商人を呼び込んで経済を動かした、という事実があったのは間違いありません。

長浜から近江八幡へと続く流れを見ていると、豊臣政権が戦国の勝者であるだけではなく、町や国づくりそのものを視野に入れていたことが見えてきます。

あらためて、今回のツアーを通じて強く感じたのは「秀吉はただの“成り上がり者”ではないし、秀長はただの“優しい弟”ではなかった」ということ。人と組織、さらには町を育てて政治や経済を力強く動かす力。天下人へと連なる豊臣兄弟の強さは、まさにそこにあったのかもしれません。

名古屋から長浜、そして近江へ。この旅は、単に“英雄譚”をなぞる旅ではなく「天下人を生んだ仕組み」を体感する二日間となりました。

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