AIは便利。でも「深く考える筋肉」は育てにくい
世の中がタイパ・コスパを優先して考えるあまりに、自分との対話ではなくて、対話型生成AIに聞いてお手軽に答えを得るということを繰り返すと、それがない環境下で、思考を深めたり、反芻したり、咀嚼するという能力が落ちてしまうのではないかと不安になります。
性能が上がってきたとはいえ、現段階では対話型生成AIは正しくない答えを言うこともままあるので、それも懸念されます。
また、対話型生成AIはあらゆる人を想定して対応しているので、いい意味でポリコレ(ポリティカルコレクトネス=政治的な正しさ)に対応した優等生の回答をしてきます。正しいのかもしれませんが、非常に当たり障りなく、面白みに欠けた対話となってしまいます。
たとえば「親友の配偶者を好きになってしまった」という問いを立てた場合、リスクやモラルといった視点から、AIには「そのまま行ったれ!」という情熱的な、あるいは破滅的かもしれない選択肢は提示できません。
「行ったれ!」と言ったら不倫を奨励するAIの烙印を押されて、AIを作った側もそういった非難を浴びたくないので、そういう設計にはしていません。
このように価値観が多様で、答えがないことを総合的に考えるような相談は人間もしくは「もう一人の自分」に相談し、一般的な例を確認したい、答えが決まっているような相談をしたい、もしくは明確な作業をお願いする場合は、対話型生成AIと使い分けるのがいいと思います。
相談する相手が人間の場合、相談者の特性や相手の家族や状況なども聞いた上で「どうしても好きだったら、行ったれ!」という提示をすることができます。
ましてや、自分の中での対話の場合、世間のモラルに縛られない、私ならではの対話をすることができます。生成AIにはできない、深いストロークのやり取りが自分の中で行われ、「罪とは?」「愛とは?」「モラルとは?」「代償とは?」という対話ができるのです。