人と会うことで生じる消耗は厄介

足りないのは体力だけじゃない。私は人と会うのにも、とてもエネルギーを必要とする。相手に対して気を使いすぎてしまうのだ。

たとえそれがどれほど楽しい時間であっても全神経を使ってしまい、解散したあとには泥のように眠り、HP、MP(ゲームでいうところの体力、精神力)を回復する時間が必要になる。

体の疲れは休めば取れるけれど、人と会うことで生じる消耗はもっと厄介だ。帰り道から「あの時もっとこう言えばよかった」「あの沈黙や表情はどういう意味だったんだろう」と反省と分析が止まらず、めちゃくちゃ脳みそが疲れる。

以前、ある媒体から魅力的な仕事の打診を受けたことがある。各地へ飛び、その土地の人々と交流しながら綴るルポルタージュのエッセイだった。
企画書を見た瞬間、心が踊った。

……やってみたい! それは書き手として喉から手が出るほど欲しい、またとないチャンスだった。

だが、私の脳は同時に逆算を始めた。2泊3日、絶え間なく続く見知らぬ誰かとの対話。ルポルタージュは、単に行って見てくるだけの観光ではない。相手の懐に飛び込み、その人生の重みを受け止め、自分の感性とぶつけ合わせなければならない。

1日に数人の見知らぬ相手と深く向き合う。そんなことを3日間も続けたら私はどうなってしまうんだろう。帰宅後の大反省会は、一体何ヵ月続くんだろう。私は壊れてしまうかもしれない。

結局、その仕事は泣く泣く断った。そう。びびってしまったのだ。

数ヵ月後、それが別の書き手によって形になっているのを目にした。瑞々しい感性で切り取られた現地の風景、生き生きとした人々の声。それは、私が掴み取っていたかもしれない言葉だった。

「くそ……私のほうが……!」
その記事を読みながら感じたのは、純粋な後悔ではなく、内側から身を焼くようなドス黒い悔しさだった。

新しい体験や感情こそがエッセイストにとって唯一無二の燃料であるはずなのに、私は自らそれを放棄してしまったのだ。