大グマほど完全に眠り込んでいる
クマには何事もなく退散していただくのがよい。のんびり近づいて来ての5メートルでは「優しく声をくれてやる」ことにしている。
別の場所では、2メートルの距離で会った。イナゴではなくクマだったのが怖いところだ。このときはクマを踏んだも同然だった。尾根から5メートルほどブナ林の中を下ったら爪先、2メートルから黒い塊が地面で破裂したように1メートルも盛り上がり「しぇっ、しぇっ」とほえながら逃げていった。
クマが気づいてくれなかったら、私はクマの脇に立ったことだろう。驚いたクマは沢の底から向こうの斜面を駆け上がって止まり「やれんやつだ、こんな山奥に入るなんて」と言いたそうに私を見た。
冷や汗がじとじとににじんだ額を手の甲で拭いた。クマがいた場所は、ブナの根元の斜面側が窪地になっていて枯れ葉が堆積し、大きな鳥の巣状になっていた。
この近さでは対処法がなく、クマの寛大さに感謝した。それにしてもクマに慌てた私と、私に驚いたクマとで対等に渡り合えたようだ。
私は入山しているときにはいつも足音を殺して自然の音を聞いているので、クマと出くわすと間近のことがあり、クマの聴覚と視覚はどうなっているのか疑問をもつことがある。大グマほど完全に眠り込んでいるのだ。
※本稿は、『家に帰ったらクマがいた』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
『家に帰ったらクマがいた』(著:米田一彦/PHP研究所)
「最大のクマ対策は、クマのことを知ることである」
クマに9回襲われ生還した猛者が綴る、数奇な科学ノンフィクション。




