大戦末期、戦艦大和とともに沖縄水上特攻を命じられた駆逐艦響は周防灘で触雷、落後する。乗組員の浦賀少尉は、日本の内海すら米軍の機雷で埋め尽くされた現実に愕然とする。
戦後、海上保安庁で日本周辺の掃海任務にあたっていた浦賀だが、ある日、緊急電により下関へ向かう。そこには多数の掃海艇が集結していた……。当時の日本の難しい立場を背景に約三十年も秘された事実をもとに、日本人にもっと知ってもらいたいと願う直木賞作家の著者が、全力で挑む歴史大作、ここに開幕!

 

   三

 瀬戸内の海に、冬の淡い朝日が散っている。
 大きな半島の先端と周囲に浮かぶ大小の島々は、濃緑の木々をまとった急峻な地形で、そのほうぼうが赤みがかった金色に輝いていた。
 山口県南東部の室津(むろつ)半島周辺では、半農半漁の暮らしが営まれている。冬は脂が乗った魚を獲り、特産の蜜柑を収穫し、とずいぶん忙しいらしい。
 掃海艇、駆特五号はそのあたりの島影に錨を降ろしている。全長三〇メートル足らず、排水量一三〇トンの小さな船の、相応に狭い烹炊室は騒々しい。起床後の身支度を終えた二二名の乗組員たちは、野太い声で無駄話に興じながら甲板のほうぼうで朝食を待っている。
「思えば、あいつらもずいぶんましな格好になった」
 烹炊室の一層上にあるブリッジから甲板を見下ろし、浮田幹(うきたかん)がしみじみと言った。駆特五号の航海長で、副長が配置されない小さな駆特五号では、艇長の補佐役も務めている。
「海軍がなくなったら、桜に錨の海軍マークはご法度になった。掃海に出るやつらはみんな、帽章をはぎ取ったり軍服のボタンを付け替えたりして海に出た。背広のやつもいたな。いまだって物も食い物も足りないが、足りないなりに身なりが整ってきた」
 浮田はそう続けたが、掃海隊に制服が支給されたわけではない。いまでも駆特五号の乗組員たちは、ジャンパー、セーター、米海軍の倉庫から流れたらしいジーンズやカーキ色の綿ズボン、海が眩しいという理由で許可されているサングラスなど、その衣服はまちまちだ。  掃海隊員は高給取りであり、おのおのが作業効率を考えたり男伊達を競って衣服を揃えている。
「まあ、俺も」
 浮田とふたりきりでブリッジに立つ艇長、浦賀新吉は肩をすくめた。
「いま着ている外套(がいとう)は、任官したときにあつらえたものだ。帽子だけは艇長らしいものを買ったが、それきりだな」
 復員に従事していた駆逐艦「響」がソ連に引き渡されて、五か月が経っている。浦賀は掃海隊を志望していたが、まず呉掃海支部の事務に回された。二か月ほどふてくされたのち、艇長が急病で倒れたという駆特五号の新艇長を命じられた。
 勇んで着任した浦賀を迎えた航海長が、兵学校で同期の浮田だった。
 それから二〇日行程の掃海に二度出動し、いまは同じく二〇日がかりで行われる三度めの掃海の、四日めだ。
「ところで貴様は『ましな格好』とやらにはならないのか」
 浦賀は苦笑しながら言った。錨マークをはぎ取った跡がそのままの旧海軍略帽、セーター、青みがかった緑色の旧海軍作業服上下、外套替わりらしいダブルのブレザー。浮田も浮田で、なかなか珍妙な衣服を使っている。どれも毛羽立つか垢(あか)にくすんでいて、端正に巻かれた首の白いマフラーだけが妙に凛々しい。
「俺だって、ましになったのさ。掃海を始めたころは、海に出るってのに飛行服のままだったからな」
 とうそぶく浮田は兵学校卒業後、飛行学生となり、教練もそこそこに名古屋の戦闘機隊へ配属された。終戦を迎えると畑違いの掃海に駆り出され、そのまま今に至っている。航空には誇りと郷愁を持ち続けていて、パイロットらしい白いマフラーを手放さない。航海の勘は申し分なく、掃海の経験も長い。浦賀にとっては頼もしい補佐役だった。
――死にぞこない。
 少し前に艇長室で二人して飲み交わしていた時、浮田は自分についてそう自嘲していた。あとひと月も戦争が続いていれば、「熱望」に丸を付けるしかない特攻の志願調書を出していただろう、とも続けた。
 操縦席を取り付けた巨大なロケット弾、小型潜水艇、モーターボート、はては潜水服と棒付き機雷の一式。当時の帝国海軍は、パイロット訓練の未了者にも扱えそうな多種多様な特攻兵器を生産していた。
 浦賀は、自嘲するほどひねてはいない。それほど自己を客観視してもいない。ただ、浮田の自嘲には懐かしさを感じた。かつて、乗っていた駆逐艦「響」が触雷で落伍し、戦艦「大和」以下の艦隊特攻に同行できなかった。戦死の覚悟を固めていた浦賀は、しばらくはぼんやりと自失していた。
 それから三年が経ち、駆特五号に着任した浦賀は、呉を母港にして瀬戸内海の掃海に当たっている。言い換えれば、響が触雷した航路を啓開している。
 終戦後、日本の掃海隊は公職追放で減り続ける人員、痛みの早い木造船、乏しい機材をやりくりして、海を取り戻そうとした。ほうぼうの海に発音弾を投げ入れ、音響板を引きずり、同じ海域を何度も磁力でなめまわし、命懸けの試航船を通過させた。浅い海で機雷を視認すれば、ヘルメット式の潜水具と申し訳程度の防寒服、足の裏に寒さ除(よ)けの唐辛子という装備で潜って処分した。
 機雷が充満する死の海に変じていた瀬戸内海も、昭和二二年が終わろうとする今では下関から大阪に至る一貫航路が開かれ、その幅も二〇〇〇メートルまで広がっている。それはつまり、死にぞこないたちによる仕事だ。
――まだ生きている。貴様も、俺も。
 そう言ってやると、浮田は苦笑したまま寝入ってしまった。あの時の寝顔はずいぶん幼く見えた、などと浦賀が思い出していると、足元から「おお」という歓声、続いて「ああ」というため息が聞こえてきた。
「メシができたな。艇長さまの分までもらってきてやろう」
 浮田は空母から飛び立つ戦闘機を思わせる軽やかな足取りで烹炊室へ行った。しばらくしてから丼ふたつを両手に持ち、悲しげな表情で戻ってきた。
「どうぞ、艇長」
 浦賀が受け取った丼には、雑炊が盛られていた。炊いた粥に大量の乾パンを入れてかさ増しし、機関の潤滑油に使う食用の白絞油(しらしめゆ)でとろみをつけてある。量だけはそこそこだが、味は素っ気もない。
「分かってはいたが、やり切れんな」
 浮田はため息交じりに言った。
「ここ二日、同じメシだ。今回の掃海はあと一六日の予定だったか、そのあと呉に帰るなり、その前に他の港に寄るなりしても、どうせまともな食糧は補給されん。日本の全体が物不足だからな」
 二か月前には配給食糧だけを口にしていた判事が餓死している。市民への配給はそこまで細っており、掃海隊の食糧事情も「量だけは民間よりややまし」という程度だった。
「俺は構わない。くどくどメシに文句をつけるなど、艇長失格だ」
「貴様が我慢して済むなら存分に我慢してもらうが」
 浮田はひどいことを言い、続けた。
「艇長より隊員の士気に関わる。ビタミンも蛋白質も足りんから、士気以前に健康を害する。油を足したところで元はサラサラした粥なんだから、腹持ちも限界がある。こんな貧しい材料しか使えないのだから、烹炊員もかわいそうだ」
「まず食おう」
 浦賀は雑炊を掻きこむ。文句を垂れた浮田も腹は減っていたらしく、食べ終わるのは浦賀より早かった。
「呉へ帰ったら、食料の補給について、もう一度上申する」
「艇長は、まだるっこしいな。そんなの、呉へ帰るたびにやってるだろう。その生真面目さは嫌いではないが」
 嘆いてから、浮田はずいと顔を近づけてきた。
「前のごとく重油を横流ししよう。そのほうが早い」
「また、やるのか」
 浦賀はつい顔を曇らせる。
 前回の掃海でも、やはり食事が早々に乾パン入り雑炊となった。浮田は燃料にしている重油の残量とそれまでの消費量から計算し、予定の掃海を終えても一割ほどの重油が余ると報告してきた。
 駆特五号に限らず、日本の掃海隊が使っているフネのたいていは、動力に乏しい。重たい錨の上げ降ろし、やはり重たい掃海具の展開と揚収は、すべて人力で行う。
――フネの燃料が余っていても人間の燃料が足りなければどうしようもない。
 浮田の意見に、浦賀は反論できなかった。しぶしぶ許可して小さな漁村に立ち寄り、余剰の重油を干魚や蛸に換えた。
 浮田はやはり戦闘機乗りに向いていた、と浦賀は思う。規則に縛られたまま思考を停止するような悠長さは、目まぐるしく状況が変わる空戦には不要だ。
「前のときは事務方に、航海日誌の記録と重油の残量が合わない、とか言われてな。何とかごまかしたが」
 観念しながら浦賀は言った。
「今回はもうちょっとうまくやろう」
 浮田はニマリと笑う。
「日誌の作成は航海長の仕事だから、任せておけ。横流しするぶんだけ、きっちり航跡を字にしてやる」
「念を押しておくが、艇のことはすべて艇長に責任がある。航海日誌も艇長が確認して署名する決まりだ」
「俺はこの艇の航海長だ。艇長だけに格好をつけさせるつもりはねえよ」
「なら、相応の服を着ろ。貴様がもらっている手当は、盛り場で乗組員を連れまわす以外にも使い道があるのだ」
 ふふん、と部下思いの浮田は鼻で笑い、手を伸ばしてくる。浦賀は空になった丼を渡した。
「命懸けで掃海している俺たちは、せこせこと重油をやりくりして食いつないでいる。お偉いさんとか占領軍とか、いまの日本でもビフテキくらい飽きるほど食ってる手合いがいると思うと、空きっ腹が煮えてしょうがねえな」
 ああ、食いてえなあ。浮田は丼を二つ重ねながら、ため息をつく。
「対米開戦の何月か前、兵学校の合格祝いで親が洋食に連れて行ってくれてな。まあ人目は厳しかったが、庶民でも奮発すれば上等なメシが食えた最後の時代だ。出てきたビフテキは外がカリカリ、中はシットリのミディアムレアだ。思い出すだけでもよだれが出る」
「ビフテキか。俺は田舎の出だから、食ったことがないな。兵学校の授業で焼き加減を指定できると聞いたくらいだ」
 広い海洋を職場とする海軍士官は、外国人と接する機会が多い。兵学校ではフルコースを食べてテーブルマナーを学ぶ授業があった。ただし浦賀たちが入学したころには、料理が載っていないつるつるの皿を眺めながら講釈を聞くだけになっていた。
「もし食えるなら、俺はウェルダンがいい」
 浦賀が言うと、食い道楽の気があるらしい浮田は首をかしげた。
「なんだ貴様、食ったこともないのに食通気取りか。ビフテキの焼き加減は、ふつうならミディアムレアだ。ふつうってことは、万人にとってうまいということだぞ」
「うまい、まずいではない。願掛けみたいなもんだよ」
 ぼんやり丼を持つ同期とすれ違い、浦賀は海図台に立った。航海長がよく仕込んでいるらしく、台にはこれから掃海する海域の真新しい図が載っている。
「掃海であれ何であれ、任務に従事するなら最も欲するべきは、『よくやった』という讃辞だ。こいつを英語にすれば」
「なるほどウェル・ダン(well done)か」
 浮田は深々とうなずき、丼を返しに烹炊室へ降りていった。       〈つづく〉

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