谷中霊園の寛永寺敷地内にある徳川慶喜家の墓(写真提供:KADOKAWA)
徳川慶喜家の第四代当主である叔父・徳川慶朝に託された、歴史ある慶喜家の「墓じまい」と「家じまい」。第五代当主となった山岸美喜さんがXに投稿した「家じまい(絶家)」宣言は、大きな話題となりました。〈アンクル〉と呼び親しんでいた叔父の「家じまい」への思いを受け継ぎ奮闘した8年と、家族や慶喜公について綴った山岸さんの著書『葵の紋を継ぎまして。』より一部を抜粋して紹介します。

「墓じまい」と「家じまい」とは

アンクルから託された「墓じまい」と「家じまい」がどういうものなのかも整理しておきます。

一般的な墓じまいでは、役所に「改葬許可証」を申請、発行してもらい、遺骨を取り出したのちにお墓を撤去して、墓地を更地にしてからお寺や管理者に返還する運びになるようです。

徳川慶喜家の墓じまいの場合、歴史上の人物の墓地ということで東京都の史跡指定も受けておりますので、墓地を更地にすることも、墓石の撤去をすることもできません。

谷中霊園にある徳川慶喜家の墓所(※)は約300坪あり、慶喜公のお墓だけではなく、慶喜家の歴代当主に加え、慶喜公の正妻である美賀子さま、幼くして亡くなった慶喜のお子様たち、側室の新村信さんと中根幸さん、老女だった一色須賀さんのお墓などが並び、高松宮妃殿下が寄贈してくださった記念碑もあります。

昭和43年(1968年)に整えられましたが、それから58年、風雨にさらされたり、震災の影響もあったりで、塀がかなり崩れてきており、「崩落注意」という看板が出されているほど。これを修理するだけでも数千万円はかかります。

草むしりだけでも毎度大仕事。お墓といっても、中に梅や桜といった植栽もあるので、夏はやぶ蚊だらけになり、雑草がものすごい勢いで生えてきます。

「徳川慶喜の墓、雑草だらけだった(笑)」などとSNSに書かれたこともあり、心がチクチクとしたものです。

 

※徳川慶喜の墓所:慶喜の墓は、明治天皇とも同じ様式の「上円下方墳」となっている。明治天皇への感謝の意を示すため、神式で葬儀、埋葬するように遺言していたことによる。この遺言が歴代将軍墓所とは違う墓所にお墓があることにもつながっている。
《徳川慶喜家の家系図》(図を拡大)(画像提供:『葵の紋を継ぎまして。』/KADOKAWA)