これまで、私と上野東照宮様につながりはなかったにもかかわらず、このように重荷を担ってくださるとは、本当に感謝の気持ちで一杯ですし、長いトンネルの向こうに光が見えたように感じました。

東京都の史跡指定を受けていることから東京都や土地を所有している寛永寺などと相談しながら、上野東照宮に祭祀承継権をお渡ししたいと思います。

上野公園の中にある上野東照宮は寛永4年(1627年)に創建(この当時につくられた金色殿は重要文化財に指定されています)、御祭神は、家康公、吉宗公、そして慶喜公です。ここに慶喜公の御霊が入ることになれば、慶喜公のことを思っても、これ以上ないお話です。

本当にありがたいことでございます。しかし、令和の時代になって歴史上の人物の御霊を移すというのは、なかなかないことだと思います。これを機に、多くの方が慶喜公に興味を持ってくだされば、子孫としてこれほど嬉しいことはございません。

具体的には決まっていないことも多いのですが、上野東照宮様のご厚意に報いられるかたちをあれこれ考えているところです。

「立つ鳥、跡を濁さず」は亡くなった母の口癖でした。私もまたそういう姿勢を大切にしたいのです。徳川家として最後にできることは施した上で、お渡しする心積もりです。全ては供養のために。

 

※東照宮:家康公を「東照大権現」として祀っているのが東照宮で、全国で百社以上あるといわれる。家康公の遺言で創建された久能山東照宮(静岡県)、やはり家康公の遺言により一周忌をもって遷座した日光東照宮(栃木県)がとくによく知られる。上野東照宮(東京都)は三大東照宮に数えられることもある由緒ある東照宮であり、家康公、吉宗公、そして慶喜公が祀られている。

 

※本稿は『葵の紋を継ぎまして。』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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