大戦末期、戦艦大和とともに沖縄水上特攻を命じられた駆逐艦響は周防灘で触雷、落後する。乗組員の浦賀少尉は、日本の内海すら米軍の機雷で埋め尽くされた現実に愕然とする。
戦後、海上保安庁で日本周辺の掃海任務にあたっていた浦賀だが、ある日、緊急電により下関へ向かう。そこには多数の掃海艇が集結していた……。当時の日本の難しい立場を背景に約三十年も秘された事実をもとに、日本人にもっと知ってもらいたいと願う直木賞作家の著者が、全力で挑む歴史大作、ここに開幕!



 無愛想な店主がマッコリだけを供する「はるらさん」を出ると、一二月の寒気が浦賀の頬を刺した。そのまま松原と並んで夜の闇市を歩く。
 まだいくつかの店はやっていて、盗んだらしい電気の光が洩れるバラックが点在している。
「このあたりでよかろう」
 松原が立ち止まったあたりは、砂埃の下に小さなタイルがびっしり並んでいる。空襲で焼けるまではモダンさを売りにした銭湯だったのだろう。大きな浴槽の、膝下くらいの高さがあるタイル張りの縁に二人して座った。
 遠くでは火が焚かれ、その明かりにボロをまとった小さな姿が複数、浮かんでいる。狩り込みなどと呼ばれる警察の強制保護を逃れた戦災孤児だろう。
「得体のしれぬ大人が目を光らせる収容先より、仲間といられる寒空のほうがよいのだろうな」
 言いながら松原は煙草を抜き出し、くわえた。マッチを擦る音に、紫煙の香りが続く。
「俺たちがいる復員庁は廃される。来月、昭和二三年の一月から掃海は運輸省が所管する。それは聞いているな」
「はい」
 浦賀が知る限り、旧海軍士官が大半を占める掃海隊の中で、運輸省への移管はやや寂しげな印象を持たれている。浦賀自身は平和国家らしくていいと思っていたが、自らが育った海軍に郷愁を持つ者はやはり多い。
「今後、組織の建て付けはもうちょっと変わる。アメリカに範を取った沿岸警備隊が、運輸省の所管でもうすぐ設立される。根拠法は今月から始まった議会、いや新憲法下では国会か、そこで提出される予定だ。警備隊の名は海上保安庁。掃海も海上保安庁が担うこととなる」
「それも、うわさで聞いています。もう東京のほうでは解決している話なのでしょうが、一つお聞きしてよいですか」
「もっと俺の話を聞いてほしかったが、特別に許可しよう」
「海上保安庁、新憲法の兼ね合いはどうなりますか。たしかアメリカの沿岸警備隊は、軍組織と規定されていたかと」
 新憲法はその九条で、戦争の放棄と戦力の不保持、交戦権の否認を日本国に課している。
「いい質問だ。許可した甲斐があった」
 松原はそこで煙草を深く吸い、長い煙を噴きだした。
「まず必要性から説明しよう、戦争に負けたところで、海が干上がるわけではない。密漁、密入国、密貿易など取り締まるべき事件は絶えん。いまは運輸省の密入国船監視本部が頑張っているが、海難事故への対処、海上交通の規制や水路の維持はほとんど手つかずだ。しかるべき建制と権限で海のあれこれを一手に担う組織は、日本のような海洋国家には欠かせない」
「はい」
「だが、国民の間には軍隊などまっぴらごめん、という考えが根強い。GHQも沿岸警備隊の必要性こそ認めたが、なしくずしに再軍備まで許すつもりはない。海上保安庁の設立はGHQの参謀二部に支持され、だが日本の民主化を進めるGHQ民政局、あと連合国とくにソ連に反対された。だから二つの制約が生まれた」
 松原は短くなった煙草を遠くに弾き飛ばした。小さな光点が夜闇に放物線を描き、消えていった。
「まず海上保安庁の規模と装備は、まっとうな海上警備にやや足りないくらいのラインまでしか認められない。船艇は小さく、少なく、かつ低速。武器はフネなどとても相手にできない対人用の小火器だけだ。現場は困るだろうが、本省がGHQへ行う今後の交渉に期待してもらうしかない。いや、俺はまだ運輸省の人間ではないが」
「掃海艇の艇長としては、ぜひとも揚錨機と掃海具の機力化をお願いしたいところなのですが」
「東京の掃海課にいる俺としては、その件は詫びるしかないな。村上掃海課長も頭を悩ませているが、最終的にはフネそのものを更新せんことにはどうにもならん。――話を戻す。海上保安庁に課せられた制約の二つめだ」
――この法律のいかなる規定も海上保安庁又はその職員が軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営むことを認めるものとこれを解釈してはならない。
「設立根拠法の条文には、こうあるのだ。俺は物覚えがいいから一字一句、間違っておらんぞ」
「松原さんの能力には興味ありませんが、あってしかるべき条文と思います。軍隊ではなく、軍隊にも発展しない組織だから新憲法九条には抵触しない、ということですね」
なのだがな、と松原は顔を曇らせた。
「沿岸警備が任とはいえ、ある程度の武装は必要だ。日本の内外から忌避され、だが国内のごく一部で熱望されている再軍備と、どう話を切り分けるか。その切り分けに応じて、役所それぞれの所轄はどうなるか。東京ではもう、勇ましい夢から小賢しい縄張り争いまで、さまざまな思惑が渦巻いている。こいつが面倒だし、見聞きするだけで腹が立つ、という愚痴を貴様に吐き出したかった」
「で、わざわざ呉に来たのですか」
「俺はそこまで軟弱ではない。課長に命じられた公用だよ。掃海装備の機力化を企画するための、現地調査だ」
「それを早く言ってくだされば、わが駆特五号に謹んでご招待差し上げたのですが」
「言えばよかったな。まあ、おれは予定通り明日、東京へ帰る。愚痴の原因にも付き合わねばならん」
「お気をつけて」
 そろそろ帰りましょう、と続けるつもりで、浦賀はまず目を上げた。
 遠くでは子供たちが焚き火を囲み、はしゃぎも寝入りもせずに茫然と立っている。かつての日本にあった何が、孤児の親を奪ったのか。ふとそんなことを思った。
「松原さんは、いまも再軍備がご持論なのですか」
 そうだ、という答えは即座に帰って来た。
「なら、やはり海上保安庁を再軍備の足掛かりになさるおつもりで」
「俺にそんな権限はないが、気分としてはまだ分からん。一つだけ決めているのは」
先に立ちあがったのは松原だった。
「もう二度と、俺たちの海に機雷など撒かせん、ということだ。平和外交とやらまでは俺の頭など回らんが、もし事あらば、機雷を運んでくる航空機や潜水艦を撃退せねばならん。海上保安庁がいま予定されている姿のままである限り、新たな機雷の敷設は防げない」
 浦賀はゆっくり腰を上げる。
「さしあたり、いまある機雷は俺が処分します」
「頼りにしている」
 松原は静かにうなずいた。

 

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