そして織太夫襲名が42歳の時。これは間違いなく第2の転機と言える。
――師匠がご病気で倒れられるたびに、「お前、名前替えへんか」って言われて、「いえ、まだ結構です」と言い続けていたら、ある日、「かみさん連れて家に来い」と。
ご自身の命のことも含めて、「わしは息子として八代目綱太夫の五十回忌をつとめられるのもこれが最後やと思う。父綱太夫は1月3日に生まれて、1月3日に65歳で亡くなっている。その祥月命日の日に、その跡取りを出したい。それはお前や。五十回忌追善で綱太夫家の跡取りを世に出したい。だからお前は織太夫を名乗れ」。最後通告ですね。
「これはわしが師匠として、親としてお前にやってやれる最後の仕事だ」って。そして次の綱太夫襲名は自分の力で、お前の良い時になんとかしろ、とも言われましたね。