それですぐに師匠の肩衣を着て、「四ノ切」の本番をつとめました。もう万感をこめて、必死で語りましたね。すると、この時の拍手がとてつもないものだったんです。これを超える拍手は、今もってありません。

お客様のほとんどが僕のほうに向いて、すごい拍手をしてくださった。僕は毛穴全部から鳥肌が立って、その拍手が大雨の音に聞こえました。

僕、雨は嫌いだったんですよ。師匠は雨男なんですけどね(笑)。師匠が亡くなった日も大雨で、僕はイギリスのブリッグという、張りの強い気に入りの傘を差して外に出ました。

すると、「バララララッ!!」って派手な音がして、それがあの、突然代役をつとめた時のすごい拍手の音に聞こえたんです。それ以来、僕は雨が好きになりました。

ですからまあ、第3の転機は、師匠の顕彰記念公演での突然の代役、というところでしょうかね。

 

十代目竹本綱太夫襲名の日を楽しみにお待ちしておりますね。

 

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