六条河原に引き出され…
村重は織田方の説得に応じず抗戦したので、信長は荒木一族の妻子の処刑を命じました(1579年12月16日)。
だしは都に護送されていましたが、処刑の日、他の荒木一族の人々と共に六条河原に引き出されます。
肘を掴まれて車に乗せられただしは、多くの見物人に顔を見られることになりました。
最期の瞬間も、だしの態度は立派だったと『信長公記』(信長の家臣・太田牛一が著した信長の一代記)にはあります。
車を降りても帯を締め直し、髪を高々と結い直して、落ち着いた様で斬られたのでした。
村重は織田方の説得に応じず抗戦したので、信長は荒木一族の妻子の処刑を命じました(1579年12月16日)。
だしは都に護送されていましたが、処刑の日、他の荒木一族の人々と共に六条河原に引き出されます。
肘を掴まれて車に乗せられただしは、多くの見物人に顔を見られることになりました。
最期の瞬間も、だしの態度は立派だったと『信長公記』(信長の家臣・太田牛一が著した信長の一代記)にはあります。
車を降りても帯を締め直し、髪を高々と結い直して、落ち着いた様で斬られたのでした。