竹は女の樹だ。細く、風に容易くしなってしまう。けれど、容易く折れはしない――。江戸の片隅の竹林を背負った家で、「闇医者」として子堕しを行うおゑん。彼女の許に、複雑な事情を抱えた女たちがやってくる。

 

 

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「お秀さん、何のためにお出でになりました」
 気息を整え、同じことを問い質す。
「何を企んで、お出でになりました。もしかして、お秀さんをここに寄越した者がいるのですか。それとも……」
 お秀が立ち上がる。
「あたしはあたしの意で参りました。先生にお会いしたかったからです」
 妙に静かな、抑揚のない口調だった。
「先生がどんな方なのか、ちゃんと確かめたかったんです。それだけ」
 確かめたかった? どういうことだ?
「まさか、こんなに失礼な方とは思ってもみませんでしたよ。ほんとに、来なきゃよかったわ。ふふん、では、先生、お邪魔いたしました」
 軽く頭を下げ、お秀が出て行く。
 おゑんは長い吐息を零した。
「おゑんさま」
 おゑんが息を吐き終えたのを見計らったかのように、末音が入ってきた。ほとんど物音を立てずおゑんの傍らに腰を下ろす。
「末音、お秀さんとの話、聞いていたね」
「はい、廊下でしっかりと……。若い方のお声はよく通りますで、苦労なく耳に入り込んできましたでの」
「どう思う」
 暫く黙り、末音は僅かに身を屈めた。
「お秀さんが何のために、おゑんさまに会いにきたか。そこのところがどうも、よう解せませぬのう。ええ、何のためなのか……あっ」
「え、何だい」
「忘れておりました。お秀さんの手土産、『文扇堂(ぶんせんどう)』の塩饅頭(しおまんじゅう)でございましたよ」
「それがどうしたっていうのさ」
「今、評判の饅頭ではありませぬか。半刻近く並ばねば買えないと聞いた覚えがありましての。それはそれは、美味だとか。お丸さんが跳び上がって、喜んでおりました」
「饅頭か。大丈夫かい」
 甘くこってりとした餡(あん)に混ぜれば、毒の味を消せずとも誤魔化しはできる。一口で食べてしまえば、吐き出せもしない。いや、吐き出そうとしても、既に身の内に入り込んでしまっている。
「皮や餡の色も匂いも、何一つおかしなところはなかったので毒の心配はないかと思いますがの。それに饅頭に毒を盛るなら、外側から仕込むしか手はありますまい。そういう跡はございませんでしたの。手作りというのなら、予め餡に混ぜ込めもしましょうが。けど、おゑんさま、そこまで用心せねばならぬ相手ですかの」
「どうだかね。けど、一風、変わった女ではあるね。おまえも言ったように、ここを訪れた理由がはっきりしない。幸せな姿を見てもらいたかったなんて、とんでもない大嘘さ」
「ですの。かといって何かを探りにきたわけでもありますまい」
「そうだね。そんな様子でもなかったね。ただ、気になることはある」
「三朝屋さんの思い違い、ですかの」
「そうさ。一度しか会っていないけれど、あたしには、三朝屋さんがそう容易く他人に丸め込まれたり、誰かの口車に乗ったりするような人には見えなかったね。一角(ひとかど)の商人の思慮分別と知恵を具(そな)えていたと思う」
 末音が首を傾げた。皺に囲まれた目が細くなる。
「そういう者が娘が孕んだと信じ込んでしまった。何なんだろうね、これは」
 末音は答えない。答えなくていい。聞き役になってくれれば、頭に浮かんだ思案をそのままぶつけることができる。
 おゑんは語り続けた。
「それに、もう一つ気になるのは……三朝屋さんが死にかけているってことさ」
 末音がひくっと身体を震わせた。
「死にかけている……それは、あの……」
「そう。伊野屋さん、先代伊野屋宗兵衛と同じさ。伊野屋さんの方は亡くなってしまったけどね。お秀さんの口振りだと、三朝屋さんもそう長くないような感じだったじゃないか」
「それは、でも、たまたまでございましょう」
 たまたま。そうだろうか。
 おゑんと僅かでも縁のあった男たちが、たまたま、前後して命を失った。失おうとしている。たまたま? たまたまだ、もちろん。そうとしか考えられない。なのに、おゑんは考えてしまう。考えろと声がするのだ。おゑん自身の声が思案を止めるなと命じてくる。
「越冬虫」
 末音の呟きが耳朶(じだ)に触れた。
 行灯に向けていた目を末音に戻す。
「おゑんさまは、越冬虫との関わりを考えておられるのですかの」
 まさか、の一言が、喉に閊(つか)えて出てこない。
「……正直、よくわからないんだよ。けど、越冬虫の話が蒸し返されてから、急に周りが慌ただしくなった。普段とはまるで違う慌ただしささ。そして、男たちが死んでいく……治兵衛、伊野屋さん、そして今度は三朝屋さん。ふふっ、あまりに突拍子もない、芝居がかった思案かねえ」
 これまでも、人の死はおゑんの日々に深く絡まっていた。血の臭いも、息絶える刹那の目の色も、途切れ途切れの息の音も、身体の震えも、指先から冷えていく身体も、おゑんの傍らにあった。けれど、それは女のものだった。おゑんに手を伸ばしてきた女たちの、おゑんが手を差し伸べた女たちのものだった。
 今度は男だ。二人の男が死に、一人の男が死にかけている。
 どういうことだろう。
 思案はそこで止まってしまう。行き止まりの小路に迷い込んだようだ。路が消え、先に進めない。ならば、路を作るしかないか。
「近いうちに、三朝屋を覗いてみようか」
 独り言のつもりで呟いた。
「止めておいた方がよろしかろうの」
 末音も呟く。思わず、その口元を見詰めてしまった。
「止めておきなされませ、おゑんさま。三朝屋には近づかぬがよろしかろうの」
「なぜ」
「わかりませぬ。けれど、危うい気がいたします。ええ、気がするだけですが」
「……三朝屋は伊野屋とは違う。日野光陵が関わっているわけじゃないんだ」
「そうとも言い切れますまい」
 そこで、末音は肩と唇を窄めた。

(この章、続く)

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