そして、上京から1年後の22歳の時に「函館本線」でデビューすることができたのです。その年の日本レコード大賞新人賞など数々の賞をいただけましたが、その後は鳴かず飛ばずの時期が続いてしまいます。
一方、兄は僕がデビューしたことを知って触発されたようで、船を降りて上京し、船村先生に弟子入りしました。僕の1年後に「兄弟船」でデビューした兄は、僕より早く『NHK紅白歌合戦』出場を果たします。
僕が出場できたのは、デビューから5年後のこと。やっと運が向いてきたと喜んだのも束の間、それ以降は再び低迷期に戻ってしまった。気持ちが塞ぎ、兄と比べられるのもつらくて眠れなくなるほど追い詰められてしまいます。
その時、僕を救ってくれたのはボクシングでした。ジムに行って、クタクタになるまで体を疲れさせることで眠れるようになり、次第に心も回復していったのです。
演歌界からも忘れ去られようとしていた頃、デビュー10年目を迎える31歳の時に「しぐれ川」という楽曲をいただきました。この歌がヒットしなかったら歌手を引退すると宣言し、プライドはかなぐり捨てて、初心に返って営業活動を行った結果、再び脚光を浴びることができたのです。
翌々年に「夜桜」で紅白に返り咲くことができた時は嬉しかった。39歳の時に「アメリカ橋」が大ヒットした時も、歌い続けてきてよかったと思いました。
こうして話していると僕は総じてラッキーなのだと思えてきます。何がラッキーなのかといえば、人の縁に恵まれたこと。見捨てられずに、どれほど多くの人に支えられてきたことか。巡り合ったすべての人に心から感謝しています。