基本的には女優、歌はプラスαだった

15歳の時、日活映画『青春ア・ゴーゴー』に出演しました。「ザ・スパイダーズ」に魅了された浜田光男さんや和田浩二さん、山内賢さん演じる下町の若者たちがバンドを結成して、コンテストに出場して勝ち抜いていくという物語です。大ヒットしたこの作品の中で、私はボーカルとしてバンドに参加する少女の役を演じ、劇中で「夕焼け小焼け」を歌っています。それを観た音楽関係者からお声がけいただき、レコード会社のオーディションに臨むことに。銀座の「ACB(アシベ)」というジャズ喫茶で「可愛いベイビー」をお客さんの前で歌って合格し「星と恋したい」のレコーディングが決まって歌手デビューしたのです。最初から人前で歌うのも平気でした。バレエをやっていたからかしら? もちろん緊張するけれど、ワクワクする気持ちのほうが強いのです。

小さい時から歌は好きでした。父が米軍の中の放送勤務で、ラジオのバラエティーショーなども制作していたので、アメリカで流行っている歌のレコードを瞬時に入手することができました。私は3歳の頃からたくさんの洋楽を聴きながら育ったのです。大好きだった「ケセラセラ」は歌詞に勇気づけられ、「なるようになる」が大切な言葉になったほど。

歌手デビューの翌年、作曲家の市川昭介先生が作ってくださった「たそがれの赤い月」がスマッシュヒットして、女優業の傍ら「夕陽の恋」「悲しみの十字架」「さようなら17才」「初めての別れ」などを次々と発表しました。25歳の時には、市原悦子さん主演のドラマ『赤い殺意』の主題歌「愛は生命」を歌ってこちらもヒットしましたが、私の中では自分は女優で、歌はプラスαという認識でした。

ジュディ・オングさん
25歳の時、ドラマ『赤い殺意』の主題歌「愛は生命」がヒットしましたが、私の中では自分は女優で、歌はプラスαという認識でした(撮影:本社 奥西義和)

後編につづく

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ジュディ・オング歌手生活60周年記念コンサート

日時 2026年10月15日
場所 東京国際フォーラムホールA
チケット購入 ジュディ・オング公式サイト https://judyongg.com/
お問い合わせ キョードープロデューサーズ 0570-200-551