ジュディ・オングさん
2026年10月15日には「ジュディ・オング歌手生活60周年記念コンサート」を予定しているジュディ・オングさん(撮影:本社 奥西義和)
3歳で来日し、16歳で歌手デビューしたジュディ・オングさん。2026年10月15日には「ジュディ・オング歌手生活60周年記念コンサート」を予定している。1979年に「エーゲ海のテーマ~魅せられて」が200万枚を超える大ヒットを記録し、羽のように広がる純白の衣装も注目を集めた。輝かしい芸能活動の傍ら、木版画家としても活躍。歌や芸術に対する情熱、活動の原動力――。時代を超えて強く生きるための秘訣とは?
(構成:丸山あかね 撮影:本社 奥西義和)

あれから60年も経つなんて信じられない

「星と恋したい」という歌で歌手としてデビューしたのは16歳の時です。昨日のことようで、あれから60年も経ったなんて信じられません。恐ろしい(笑)。もっと遡れば、私は11歳の時に日米合作映画『大津波』で映画デビューしました。すべての始まりは、3歳の時に、米軍GHQで報道の仕事に就いていた父の転勤に伴って台湾から日本へ移り住んだことです。

当初は台湾語オンリーでした。でも、日本人のお友達と遊びたいという気持ちで日本語がペラペラに。兄とも日本語で会話していたのですが、その様子を見た父が、台湾語を忘れてしまったら故郷にいるおじいちゃんやおばあちゃんと再会した時に話ができないと心配して。それに、アイデンティティが曖昧になってしまうからと、家では台湾語で話しなさいというルールを設けます。両親は本当に徹底していて、たとえば学校から帰って日本語で「今日のおやつは?」と母に聞いても知らんぷりなのに、台湾語で聞き直すとおやつが出てくるといった具合。おかげで8歳で台湾へ一時帰国して祖父母に会った時には台湾語で話すことができました。その頃になると、東京中華学校で標準中国語を、父の意向で家庭教師について英語もマスターしていたので、クァドリンガル(四か国語話す)であることが、私の人生の転機へとつながっていくのです。

幼少のジュディ・オングさん
劇団ひまわりに入団した頃のジュディさん(提供:所属事務所)

10歳の時のこと。一緒にバレエ教室に通っていたお友達が「これから劇団ひまわりへ行くの」と言うので、「劇団ひまわりって何?」って聞きました。そうしたら「あなたも入団しない? 大スターに会えるのよ」って。つまりこれは、劇団ひまわりは子役の養成所で、エキストラとしてならすぐにでも撮影現場へ行けて、そこには大スターがいるという話だったのですが、私は大スターに会ってみたいという、それだけの理由でお友達に着いて劇団へ行って、面談を受けることに。すると私の書いた履歴書を見た先生が「あなたは4か国語も話せるの? 凄い、面白い」と言って一発で合格をくださって「きちんと今度はご両親と一緒に来てください」と。まだバイリンガルすら珍しい時代だったので、国際的だということに広がりを感じてくださったのだと思います。

幼少のジュディ・オングさん
10歳ごろのジュディさん(提供:所属事務所)

家に帰って両親に伝えると保守的な父は「Oh no!」と。でもモダンガールとして娘時代を過ごし、私よりも早く革のパンツを履き始めたくらい先進的な母が「この子が初めて自分はこれをやりたいと自己表現したことを尊重するべきだ」と父を説得してくれました。そのおかげで父も家の手伝いや勉強をしっかりやることを条件に許してくれたのです。なにしろ我が家では母の意見が強かったので。(笑)

実はもう一つ、「銀行に就職すること」という条件がありました。母も結婚前に銀行勤めをしていたのですが、これは夫の給料をどうやって膨らませるかを銀行側から学ぶための花嫁修業だったのだとか。だから母はビシッと家計を管理していて凄かった。でも私は自分には向いてないと思ったし、銀行員になるという条件だけはクリアできませんでしたが、芸能界に入りました。