作家の朝井まかてさん(撮影:霜越春樹)
2008年のデビュー以来、数々の文学賞を受賞し活躍を続ける朝井まかてさんが新刊で描く主人公は、大正時代、夫と別れ子供を置いて島根から東京に出て女優となった伊澤蘭奢。27歳という、当時としては相当遅く舞台の世界に飛び込んだ蘭奢の生き方には、49歳で作家になった朝井さんも共感するところがあったといいます(構成=古川美穂 撮影=霜越春樹)

大正時代、家庭の主婦から女優になった女と4人の男

デビュー以来、さまざまな時代の歴史小説を書いてきましたが、大正時代を舞台にしたのは今回が初めてです。関東大震災を境に街が作り替えられて「江戸」が消え、明治時代に入ってきた西洋文化の果実をたっぷり味わった時代。同時に日本が戦争に向かう足音もはっきり聞こえています。

そんな時代に、夫と幼い子どもを捨てて演劇の道に飛び込み、自らの予言通りに数え年40歳で亡くなった新劇女優・伊澤蘭奢(いざわらんじゃ)。彼女を取り巻く4人の男性から見た、その波瀾に満ちた生涯を描きました。

最初は帝国ホテルを舞台に何か書きたいと思い、ホテルの百年史を読んでいたんです。そこで、かつて施設内にあった舞台でチェーホフの『桜の園』に出演した、伊澤蘭奢という伝説的な女優がいたことを知りました。自伝を読んでみると露悪的だったり、感傷的だったりと、イヤな面も多い(笑)。それでもどこか惹きつける強さがある。なぜだろうと調べてみたら、周囲の男性たちが彼女の魅力を引き出していたとわかりました。

一般的には知られていない人もいるのですが、それぞれの世界で名を挙げています。愛人の内藤民治(ないとうたみじ)は出版社の社主で、世界を股にかける政治フィクサー。内藤の前に恋仲だった徳川夢声(とくがわむせい)は、一世を風靡した活動写真弁士です。蘭奢を慕う帝大生の福田清人(ふくだきよと)は後に児童文学者として名を成し、蘭奢の息子・伊藤佐喜雄も後年は作家になっている。内藤、徳川、福田、伊藤の視点から、蘭奢の女優以外の面も描きだせるのではないか。そう考えて、異なる旋律を挟みながら同じ主題を繰り返す輪舞曲形式で書くことにしました。

息子の佐喜雄は、蘭奢の「母」の顔を知る、唯一の存在です。長く離れて住んでいた彼と再会してから蘭奢はかいがいしく彼の世話を焼いたそうですが、私から見れば、彼女は母の役割を喜んで演じているように見えました。でも、私たちだって、相手に合わせて「演技」することはありますよね。4人の男の目に映った四様の蘭奢の顔と、「人間が生きるうえでの演技性」について迫ることもできたかと思います。

蘭奢が女優を目指したきっかけは、当時の大スター・松井須磨子(まついすまこ)の舞台でした。衝撃を受けた彼女は、観ているだけの人間ではなく向こう側に立ちたいと身悶えします。「私、女優になるの。どうでも、決めているの」と宣言したのは27歳のとき。当時としても相当遅いスタートです。

『輪舞曲(ロンド)』著:朝井まかて

私自身も49歳で作家デビューしました。子どものころから呼吸するように本を読んでいたけれど、40歳を過ぎて、「私はいつまで人様の書いたものを読んでいるだけなのか」と。意を決して、作家を多く輩出している大阪文学学校に通い始めましたが、初めて学校がある古いビルの階段を上ったときは足が震えました。そんな経験から、蘭奢の気持ちは理解できるところもあるのです。

あれほど焦がれた女優になり、女優として死んだのは、幸せな人生だったでしょう。でも同時に彼女はいろいろなものを捨てた。「何かになろうとしている人間」というのは、周りの人たちを振り回す、はた迷惑な存在。けれど彼女の死が彼らの人生を形作った面もあります。死は生を彫琢するということを、この作品を書きながら強く感じました。蘭奢の人生という芝居に、読者の皆さんも参加していただけたらとても嬉しいです。