妻を見送って

阿刀田高さん
阿刀田高さん

昨年5月、長年連れ添った妻の慶子さんを見送った。「格別孤独は感じていません。人間はどのみちひとりで生きていくんだという意識がありました。20代のころ7年間ひとり暮らしをしていましたしね。親しい夫婦でしたが、とことん自分を預けているようなことはなくて。どこかに妻は妻、自分は自分であるという意識はあったんです」と振り返る。

阿刀田さんは大学卒業後、国立国会図書館に勤務。その頃に慶子さんと知り合い、結婚した。「独立精神のある人でした」と振り返る。阿刀田さんが図書館を辞めて執筆活動に専念することを決めた時にも見守ってくれたという。

「家内は、『人生はその人の信じるところを生きるといい』と思っていたようです。だから、『心配だけれどそこまでやりたいなら、どうこう言うことはない』という態度でした」

当時すでに3人の子どもに恵まれていただけに、「ちゃんと生活の面倒は見てほしい。昼間に生活して夜は寝ること」との注文はあった。

阿刀田さんは秘書を雇わず、自分で鉛筆を削り、コピーを取ってきた。慶子さんは阿刀田さんの作家活動に関わることはなかったが、海外取材には度々同行していたほど仲が良かった。子育てがひと段落着いたころから、慶子さんは朗読家として活動。だが、5年ほど前、慶子さんに認知症の兆候が表れる。レビー小体型認知症だった。

「妻より先に死ねない」

慶子さんが体調を崩してからはそんな思いが強くなった。「結婚は大変重いこと。自分以外の人間に対して相当責任をもたねばならない。私が死んで家内が残ったら子どもたちが大変だろうなと思いました」と当時の思いを明かす。

阿刀田高さん
阿刀田高さん

老々介護に限界を感じていた頃、介護関係者からの助言もあり、2023年1月、慶子さんは介護付き有料老人ホームに入居した。週に1~2回、お見舞いに行くと、慶子さんは笑顔を見せて喜ぶ。

しかし、病状は悪化し、25年4月、次男とともにお見舞いに行くと、医師からは、胃ろうを提案された。慶子さんは食べ物を受け付けなくなっていたのだ。家族を集めて相談した結果、胃ろうだけでなく、手術や延命のための治療はせず、静かに見守ることを決めた。

忘れられない出来事がある。昨年5月、亡くなる10日ほど前のことだ。意識がもうろうとしている慶子さんの手を握ると、慶子さんは「おじいちゃん、大好き」とつぶやいたのだ。

「相槌とかではなく、家内から聞いたちゃんとした言葉はこれが最後だったような気がしています。こんなにいい言葉を残してくれたということだけでも、私は家内に感謝しなきゃだめでしょう。連れ添った60年の間には大好きじゃなかったこともあったと思いますけど。大好きだと思って死んだのなら、言うことない。大団円ですよ」と声を詰まらせる。

慶子さんの最後の言葉を記した手帳(2025年5月12日)
阿刀田さんは、日記帳に「おじいちゃん 大好き」と妻の言葉を記した

慶子さんが息を引き取ったのは、施設に医師の往診がある月曜の朝だった。阿刀田さんがお見舞いに行こうと準備していたところに、電話が鳴った。急いで駆けつけると、慶子さんはベッドで苦しそうに息をしていた。次第に穏やかな表情になった慶子さんに「慶ちゃん」と呼びかけると「ありがとう」と言っているような表情に見えた。そのまま慶子さんは旅立った。施設に入居して2年あまりが経っていた。

「医師が到着して病室に駆け込んでくるのと、家内が亡くなるのはほとんど一緒のタイミングでした。ありがとうと言ったかどうかはわからないけれど、そうだったと思ったほうがこっちには都合がいいですから」と穏やかに話す。

今年5月、慶子さんの一周忌を迎え、家族で集まった。3人の子どもたちに「お母さん、幸福だったのかな」と尋ねたら、子どもたちは「幸せだったと思うよ」と返ってきた。次男は「とにかくお母さんはお金に困らなかったから。そんなに豊かであったわけでもないけれど、困ったことはないからね」と笑って話していたという。